震災という体験は、私たちにどのように作用しているか?

2018年3月13日

今年もまた3月11日がやってきました。
私にはまだこの日が訪れています。

もう二度と訪れない人々の想いもしょって、
せいいっぱい生きていきたい・・・

と、毎年思う日になりました。

私の2011年3月11日

東日本大震災の時、娘は4歳で、寝ていた娘を起こして習い事に連れて行かなきゃ~ってところでした。

当時私は関西に住んでいて、なまずのようにぐら~と床が揺れた感じがして、私の方が目まいしたかな?と思っていました。

娘の習い事の場所で他のお母さんたちに、そんな話をしたら、「私もめまいのような感じがしたわっ」とお互い話をしていて、「あれはなんだったんだろう」で、家に帰りました。

それが、こんなにひどい地震だったとは・・・。

それからは毎日TVで流れていて、
私の目の前の風景はいつもと変わらないのですが、
TV画面の災害風景が、私の心の中に進出してきて、心がしぼんでくるのがわかりました。

当時のブログを見て見ると、うわっつらの変な善意みたいな文章が書かれていて、
心がすごく動揺しているのが自分でも読み取れて、
恥ずかしくなってしまう文章になっています(>_<)

災害の映像を見ただけで、こんなになっちゃうのですから、
テレビ画面って、人を強力に変える力があるのだなぁと感じました。

 

私が知っている昔の被災は、原爆

私の父は原爆の被爆者で、当時は焼け野原で苦労したようです。

写真が残っていないので、その苦労話を聞くだけなのですが、幼い私に強烈に被災を印象づけ、「原爆=怖い」を植え付けました。

その後、学校で、原爆について学ぶ日が毎年あったり、原爆資料館などへ行くことにより、被災風景は私の中に強く浸透してきて、「怖い」はますます強力になっていきました。

父はといえば、原爆を体験していて、その被災地で、食べ物を探し回ったりしたらしいので、少しでもお腹がすくと、怒りだします。

「おなかがすく」のが「怖い」みたいです。

 

目でみる、体感する、は思ったよりも身体に作用する。

目でみたり、体感したものは、思ったよりも身体や心に作用しているんだなぁ~と、今更ながら震災という経験を経て思います。

震災がなかったら、地震のたびに、こんなに地震情報のテロップが流れたり、津波に神経過敏になったり、みんなしていないんじゃないかと思うのです。

みんな「怖くて」「怖くて」たまらないんだなぁ~と感じます。
もちろん私もそうですが・・・。

父もそうですが、お腹がすくのが怖いってのも、身体が恐怖を覚えているからだと思うのです。

6年たった今年、
テレビ画面で流れる「画」は、
生きている人々が主人公の「画」になってきている気がします。

震災から2,3年は、毎年テレビの画面で流れるのは、
あの津波の「画」だったと思うのですが、

だんだん変化してきていて、
それから祈りの場だったり、
震災にちなんでのイベントだったり、
被災地のその後の場面だったり・・・。

人って立ち止まれない生き物なんですね~(´・ω・`)

でも、心の中の「怖い」がどっかへいったかというと、そうではないようです。

父の事を考えても、記憶が薄れていっても、
身体が反応しているんですもん。何十年も・・・。

そっちの方が怖い(>_<)

 

怖さを強さに変えて

「怖い」という気持ちが悪いわけではなく、「怖い」を防災意識に変えたり、多くの人たちが悲しまないようにしようと前向きにとらえることが大事ではないかと、最近思うのです。

「怖い」だけじゃ、もしもまた大きな災害があった時、立ちすくんでしまいそうです。

災害が起こっても、けっこう大丈夫な地球環境を目指すとか・・・
災害が起こっても、別に問題ないよ~的な方向を目指すことは不可能?

自然なものを抑えることはきっと不可能だと思うので、
自然なものが起こっても、ど~んと構えられる、

なんてのが、遠い未来にやってくるといいなぁと思っています。

これって、「人は変えられないけど、自分は変えられる」の法則あてはまってるなぁ。
「自然は変えられないけど、私たちは変えられる」

宗教的考えなどで、「怖れを捨てなさい」というフレーズを聞いたりするけど、
それってこういった意味かな?

と、考える今日この頃です。