ダウン症の姉はつらいよ。6年生ではお世話係で頑張りました。

2018年3月12日

娘は今年、小学校卒業です。

6年生の1年間は、散々だった。

と、娘はいいます。

なんでも、支援学級と普通学級を行き来しているお友達のお世話係に、先生が何かと任命してきて、修学旅行も、運動会も、クラスの係さえ、その子たちと一緒にしないといけなかったのだとか・・・。

 

障害をもつ子のお世話係の実態

その先生は、娘の弟が支援学校に行っていることを知っています。
多少なりとも、障害を見ているということから、お世話係に任命したのかもしれませんが、
なぜその子ができないか?
どういったことが出来ないか?
何度も言うのになぜわからないのか?

ということを理解していなので、お世話できるはずがありません。

弟の事はずっと見ているので、弟が
何ができなくて、
どうすればできるか、
どのように働きかければできるか
は、多少わかります。

それも、娘の生活に支障をきたさないように、私もコントロールしてお手伝いしてもらうという状況です。年齢がもっと上になると、自分でもっと考えてお手伝いできるのかもしれませんが、小学生には無理だ~(^^;)親でも大変だもん。それにそこまで求めちゃおらんです(´ー`)

学校ではそうではないようで、お世話係に丸投げで、できていないと、「出来ていないじゃないっ」と、娘は、その支援学級の子達と一緒に怒られるそうです。

クラスには二人、支援学級から来ているようで、健常の子ども達は、その支援学級の子ども達を、あまりいいようには思っていないみたい。

すごい暴言を健常の子どもが支援学級の子達に浴びせてることも度々あるそうですが(ごく一部の子ども達のよう)、そんな時は、

「そんな事言わない!!」とは、怒っているそうですが・・・

娘は、そういった子たちと、支援学級の子たちの間で、これまた板挟みで、支援学級の子たちと仕事をすると、健常の子たちがすっと引いて行くのを感じる・・・と、言っています。

息子の場合、お世話される方~保育園生活

息子はお世話される側でした。

保育園では、健常の子ども達の中に入り交じり、生活していて、
2歳で入ったのですが、その頃は、息子も周りの子も、あまり変わらないような状態でした。

ですが、日増しに健常の子どもたちは出来ることが増えていき、片や息子は、まだ立つこともできない状態・・・(;_;)

こんなに成長が違うなんて・・・

 

このまま成長速度が違う中に入れていることは、息子にも、周りの子ども達にもよくないのでは・・・と、思った私は、「仕事辞めて保育園を辞めようと思う・・・」

と、何度か保育園の園長先生に相談したのですが、先生は、

「今、辞めるな!」
「今辞めたらだめよ!」

と、励ましてくれました。

今辞めると、「保育園に再度入れるチャンスはもうなくなる」、という意味と、
「逃げるな!」という意味、両方だったのではないかと今では思っています。

その園では、クラスの担任の先生は2人いて、クラスの子どもの人数は結構大人数でした。
クラス単位で分かれていても、遊ぶ時は上のクラスも下のクラスも混ざって遊ばせるというような園でした。

そういったシステムが良かったのか、息子はクラス単位の行動ではついていきにくくも、遊びの時間は下のクラスにも交じれるので、助かりました。息子も楽しく遊べましたし、お友達もかまってくれるお友達がたくさんいました。

そこには、息子を入れて遊ばせようとする園の先生たちの努力も大きかったです。
先生が、お互いを見て、仲介してくれるので、
息子は孤立もせず、なおかつ、自分も出しつつ、遊べました。

健常の子どもたちも、2歳の時はなんとも思ってなかったようですが、成長につれて、だんだん息子が自分たちと違うというのがわかったみたいで、私もよく、「どうして○○できないの?」と言われたりしていたのですが、「あ、この子はお世話がたくさん必要な子なんだな」と認識していくようで、小学校前には、なんとも思わずに、さっとお世話してくれる子に変貌していました。3,4歳くらいが一番「どうして○○できないの?」とか、「こんなことも、あんなことも、私(僕)お世話してあげたんだよ」と言う時代でした。

そのうち、健常の子が自分に自信がついていったからなのか、もう疑問もない、賞賛もいらない年になったからなのか、すっと自分から相手の気持ちや行動を考えてやるべきことをやれるようになっていったのはびっくりでした。

とてもありがたい変貌でした。

 

加配の先生がついてはいましたが、上のクラスの先生も、下のクラスの先生も、息子がどういったことができて、何ができないかわかってくれていたので、お友達に、「ここはお手伝いしてあげよう」「ここは自分で出来るから待っていようね」と働きかけてくれていたようです。

園全体の先生が、そのことにかかわってくれて、息子の状態を情報交換してくれていたみたいで、息子にも、お友達にも絶妙の距離感で、指導、誘導しているのを、目の当たりに見ました。

こうやって、教育していくんだ・・・(;゚Д゚) 
育児も教育なんだ~(;゚Д゚)

と、息子の保育園の先生が私に教えてくれました。

息子にも、お友達にも、お互いをわかりあえるように何度も根気強くやっていました。ちゃっちゃとしているお友達は、息子のどんくささが嫌だし、息子は、できないくせに自分でやりたがるタイプで、衝突したりすることもあったようなのですが、繰り返し、繰り返し教え諭すという事をしてくれました。大変な作業だったと思います。でも、その事を、私には押し付けるでもなく、でも、今思えば、「こうやるんだよ」と見せていたのかもしれません。

身体的な特徴も大きく離れていき、どんどん大きくなる健常の子ども達、片や息子はサイズ90~100~110をゆっくりと時間をかけて大きくなっていきました。遊んでる最中に、はじき飛ばされたりすることもしょっちゅうのようでしたが、先生が間に入ってくれて、危険回避や、お互いの身体的な状態を認められるような言葉かけをしてくれているのが、わかりました。

卒園の時も、卒園式を先生たちが息子に一生懸命教えてくれました。単に、証書をもらいに行くだけでも、どこを通って、どこに座るか、健常の子にはわかるけど、息子には難しい事だったのです。でもお友達と先生の応援のおかげで、無事、ちゃんとできるようになっていて、最後には、「写真一緒に撮ろう」と言ってくれるお友達がいたり、みんな「バイバーイ」と元気に分かれてそれぞれの道に入りました。

普通学校で生活する娘と支援学校へ入学した息子

普通の小学校へ入学した娘は、ダウン症児の姉と、毎年の担任の先生は知っていたけれど(家族の状態を知らせるカードがあるんだも~ん)、特にそこは問題視されることもなかったです。お友達にも問題視されることはまったくなかったです。
どちらかといえば、おっとりちゃんだったので、娘がお世話される側だったけれど、そういった性格でも、クラスでも浮くことなく、楽しく、

5年生までは過ごしていました。

支援学校の先生からは、ダウン症児の姉ということで、息子の支援学校での懇談のなどの間、私が面倒みられないからと、低学年の時は、息子と一緒に支援学校の先生が娘も入れて遊んでくれたりしていました。

おかげで、支援学校に悪いイメージはなく、施設も普通の学校とは違ったものがありますので、「支援学校いいなぁ」という気持ちをもっています。

デイサービスの方たちにも「ダウン症児の姉」と知れ渡っているので、気にかけてもらっています。

周りは、娘は娘、息子は息子で対応してくれていたので、「障害」が娘に不利益をもたらすことは今までありませんでした。

ダウン症児の姉が弊害に?

そんな今までだったので、まさかそこを逆手にとられるとは思っていませんでした。

そこを見越して、使われるってどゆこと?
「ダウン症児の姉」が不利益をもたらした事実ではないのかもしれませんが、なんか釈然としません。娘の性格的なものを見越しての「利用」かもしれませんが、それでもそれはおかしかろう?と思ってしまいます。

今までの先生がいい方で、しかも、いろいろわからないところを、たくさん教えてくださる先生方にあたっていただけにびっくりです。

そして、先生は子どもの先生でもあったけど、私にも育児、教育を教えてくれる先生でもあったので、「先生」という輝かしい響きが汚れた気がします(:_;)

今までが奇跡だったのかな・・・?

お世話丸投げ状態は、娘だけに害はとどまらず、お世話される側にもよくないと私は思います。そして、クラスの子達にも・・・。

通級による指導(つうきゅうによるしどう)とは、日本の義務教育における特別支援教育の制度の一つで、通常の学級に在籍していながら個別的な特別支援教育を受けることの出来る制度である。(ウィキペディアより)

息子を見ていても、定型の成長発達に触れるのは、人間同士のコミュニケーションの上、とても有効だと思います。

息子は、支援学校なので、定型の成長に触れる機会がすくなく、そこが、難点なのですが、先生を見本に頑張っているよう。

サッカーが大好きなのですが、お友達はリフティングはおろか、ボールを蹴ることも大変な子が多いのですが、先生がお手本でリフティングをやると、「俺も、俺も・・」とマネしようとしたりするらしいです。

で、最終的には先生を模倣することで、できるようになることも数あるのだとか・・・。

息子にとっては、娘もお手本となっていて、娘がやることを横目で見ながら一生懸命リサーチしているのがわかります。

通級とは、そうしたことを目的とされているのだと思いますが、それには、下準備が必要なのだと思います。

今、娘がいる学級では、そういった下準備が行われていないよう・・・。
 

 

通級には寄り添う先生が必要

通級には、そこにお互いの発達を願う大人の存在が必要なんじゃないかと思います。

息子が保育園で受けた、保育、教育には、多くの大人がかかわっていました。だからこそ、息子にもいい思い出と成長がもらえ、私はきっと、健常の子ども達にも、いい成長の糧だったのでは・・・と思っています。お互いが低年齢だったからこその出来事だったかもしれませんが、大人がわかってある程度教えてあげれば、悪い結果は残らないのでは・・・・と、息子の保育園時代の体験からは思ってしまいます。

通級が必要な子ども達と普通学級の子ども達は、先生の指導、教えがあれば、決してお互いにマイナスにはならない・・・というか、ボーナスポイントを与えあえる間柄なのでは・・・と私は考えています。

自分たちとちょっと違う状態の存在を受け入れる下地を作るということを、体験させてもらえるし、出来ている状態を目の当たりに見る事によって、出来ているのイメージができる・・・お互いの存在の有効活用~♡

でもその奇跡の状態は、その観点の上で、下準備をしておかないと、お互いに「大変」で終わってしまって、お互いの存在をいいものにはできないのではないかと思うのです。

その状態にもっていくことは難しいことかもしれませんが、どこの学校や職場もチャレンジするべき事では・・・と私は思います。そのチャレンジの過程も私たちにとって大事な事ではないでしょうか・・・。

私が小さい頃は、障害を持つ子ども達はとても肩身が狭かったと思います。
良い目が少なかったと子どもながらに感じていました。

そんな状態に私も置かれるのか・・・(;´Д`)
と、思ったら、まったく違ってて、
結構、人間育成に熱血!状態の人たちにたくさん出会いました。

この流れが今のご時世?

こういう時代の流れどうですか・・・
と言わんばかりの教育、保育、少ないかもしれないけど、あるようです。
まだ何年もこの世に生きていない、自分しかまだわからない子ども達に「お互いの違い」を教えるというのは、地味な作業で、その作業は今はスポットライトを浴びていないようなので、わかりにくいですが、この世界の片隅で、お互いの存在・価値観を否定しない、そこに着目している大人たちが確かにいます。

私は、この流れが結構好きです。
そして、この流れをもっといろんな人に体感してもらいたい♡♡♡

そういったものを広げて、私の娘世代の子達が大人になった頃には、
支援があたりまえで、支援する側とされる側は、
実は対等なんだ・・・
人は違ってあたりまえなんだ・・・
という流れになっているといいなぁと私は思っています。

後日談

娘と支援学級の子達との共同の係は、結局娘ばかりが、係の仕事をすることになってしまっているので、改善を先生に求めてみたら?と、娘に言うと、

早速、娘は先生に訴えたらしく、
でも先生は「もう卒業なので、我慢して」と言ったそう・・・。

ま、とりあえず、娘は「仕方ない」とナットクして自分だけで仕事をこなす事にしたみたいです。

こういった事、大人になったらきっと職場でもあるよね・・・。

職場環境をいいものにするには、学校から・・・なのかもしれません。