2018年6月18日の大阪北部地震。

私にとっては、人生初の大きめ地震でした。

地震ってこんなに揺れるんだ?

と、感じた瞬間。

日本の1/4か1/3は揺れていたんだ

娘の学校では

娘はちょうど吹奏楽部の朝練に参加していました。そこで地震の揺れを体感し、先生にすぐにしゃがむ事と、譜面台を横に倒すことを指示されたみたいです。泣いている子もいたそうです。

娘は取り乱したりはしなかったみたいですが、初の地震体験だったので、揺れたからといって、その事が自分にどう作用するのかわかってなかったんだと思います

地震の後、帰宅させられるのかと思ったのですが、娘の中学校は、その日の授業は普通にあり、普通に帰宅してきました。ノー部活デーだったので、みんな普通に帰宅したようでした。

娘の学校は中学校だからか、地震があったからといって、学校がどのような状況にあるか、情報発信がまるでないです。

息子の支援学校は、インフルが流行れば、インフル流行しています、はしかが流行ればはしかが流行しています、送迎バスが遅れればバス到着が遅れます、などのメールがやってきます。

うざいと思う人もいるのかもしれませんが、私としては、このような対応の方が安心します。

中学校なので、そこまでの対応は望んでないけど、緊急時の保護者への情報発信は考えてほしいと思います。



我が家にいた、私と息子は

カタカタカタと家具が揺れた後、自分自身もゆっさ、ゆっさと横に揺れる地震を体感しました。

そして、テレビがぶちっと切れ、その後、音がなくなる感じに静かになりました。

それから数分後?数秒後?またテレビの電源が入ったようで、テレビから音が鳴りだし、その後またぶちっと切れました。

で、携帯がブーブー鳴って緊急地震速報と、携帯からのお知らせが来ました。

私の人生の中で、一番大きな地震でしたが、いろんなところの地震を見ていたからか、揺れが終わると、すっと貴重品、防災リュックを背負う自分がいて、すぐに息子をつれて外に出ました。

外に出ると、ご近所の方も外に出ていて、テレビからの情報が地震の際は得られないことにブーブー文句を言い合い、市のアナウンスがその後行われていたようなのですが、内容はぜんぜん聞こえないことに腹を立て、そんな時を何分か過ごした後、テレビがついているよ、と、近所の人からの情報があって、皆、家の中へ入りました。

そこで、これが大阪が震源の地震なんだとわかりました。

テレビはその後、途切れることなく、情報を流していました。
しかし、肝心の揺れた時に、ぶつっと切れて、情報も何もこないという恐怖を体感したので、後にずっと流れる情報は少しむなしく感じました。

息子は、揺れがわからなかったみたい。
テレビをずっとボーゼンと見ている私を見て「なんで学校行かないの?」と思ったようで、
数少ない覚えている単語

学校!

と、言葉を言い放ち、行こうよ!!と怒ったように言ってました。

そんな時、学校から「本日、学校予定通りあります」メールが・・・。

え?学校あるの?

今からじゃ学校の送迎バスには間に合わない~と、車で私が送ることに・・・

途中で地震になったらどうしようっと、めちゃめちゃ怖かったです。

車で息子の学校近くまで行く途中、普通小学校を通ったのですが、その小学校は、休校になったようで、保護者が学校に引き取りに向かう様子や、保護者と一緒に子どもが帰る様子が見られました。

ここは休校なのに、うちの学校はあるの?まさか、行ったら、やっぱりないとか言われないよね?とか不安に思いつつ、学校まで行くと、送迎バスが学校にもう到着していて、次々に子ども達がバスから降りているところでした。

あ、やっぱりあったんだ・・・

後で聞いた話ですが、息子の学校は支援学校なので校区が広く、朝早くから送迎バスの運行がされているため、急に休校はむずかしいみたいです。それよりは、学校に生徒を待機させる方が・・・との考えだったようです。

それぞれに学校の思惑があるようですが、

私たち、そこまで知らないから、その時は、「え?こんな時に学校?」とか思っちゃうし、

休むにしても、電話で連絡しようとして、電話が通じなかったです。

どうしろと?

と、思いました。

学校からはずっと、経過報告や、学校から生徒の帰宅時にも送迎バスの運行状況やらずっとメールが来ていたのですが、地震時に、個人から学校への連絡が難しい・・・ということを感じました。

学校側からの一方的な発信になってしまうので、こんな時の対応をどうするかが課題みたいです。

旦那はその頃

大阪にいて、ドンという下から突き上げるような体感をしたそうです。

LINEの電話で私にすぐ連絡してくれた旦那。
旦那は今までの災害から、LINEは使えるというのを学んでいたらしく、LINEからの電話を利用したようです。

ちゃんと話もできて、お互い大丈夫との確認ですぐに切りました。

その後、駅周辺に人がわらわら出ているをの私が目撃し、電車が止まっていることを知りました。仕事中の旦那は、電車止まっていることを知らないだろうと、LINEでメールして教えると、ショックが大きかったのか、ず~と、まだ動いてない、まだ動いてないのメールが・・・仕事は????(~_~)

駅周辺にわらわら出てる人も、ずっと携帯見つめている人だらけでした。

きっと旦那と同じ感じだったのでしょう。

午後3時頃、

電車動いてるみたい

と、電車で帰りますメールが来ました。

電車動かなければ、車で迎えに行かなくちゃいけないかしら?と思っていたので、私も一安心。
その日は電車が使えないからか、かなり道路の渋滞がひどかったようなので・・・

地震の後は、日常のありがたさがわかると同時に余震におびえる

結局、みんな普通の日を過ごして、自力で家に帰宅してくれました。何かの時には迎えに走らなきゃかしら?と思って待機していたのですが・・・

もしもいつか災害が起こっても、こうやってみんな無事に帰ってきてほしい・・・としみじみ思いました。

その後の余震は、次の日の昼くらいまで何度か感じました。

19日の夜中の0時のが一番「ドン!」という感じで体感きつかったです。

でも、その後は、地震の揺れを体感したから、感覚が揺れているって感じで、実際地面が揺れているのか?自分が揺れているのか?突如、揺れの感覚が襲ってきます。自分が怖がっているのがよくわかります。

地面の揺れが人に及ぼす作用の怖さが少し体感できたような気がします。
自然と身体を合わせるって、こんな感じなのかな?

この後、防災グッズの中身をもっと増やすべく、ホームセンターに走った私。
地震を意識してか、ガスボンベが大量に置いてありました。防災のために買っとけってことか?

スーパーへ行くと、パックごはんで売り切れている部分がありました。

みんな買っていったのかなぁ・・・。地震の後の行動みんな早いよ~。



水の売り場が拡大されていて、それはスーパーもホームセンターも一緒でした。水は防災グッズだよ~んてことか?

我が家はおしりふきが欲しかったのですが、おしりふき売り切れ・・・たまたま?うんこをおむつでしかできない息子なので、我が家の防災グッズの中におむつとおしりふきは必須です

他、割りばし、紙コップ、ラップ、アルミホイル、ガスボンベ、ビニールパック、などが災害時に役に立ったと、どこかで読んだので、買い足し。

割と早く動いたつもりだったけど、みんなそれより早く動いてたみたいで、ホームセンターもスーパーも買い物客いっぱいでした。

物流が止まる災害には会いたくないよ~きっと私、物買えないタイプだ・・・

そろそろ1週間たちますが・・・

余震は震度3になると、震源地から離れた県でも感じるようです。

この余震けっこう感じたなぁ・・・。娘はベッドに横たわっていたので、さらに揺れ感じたと言ってました。

ジュセリーノさんの6月21日地震説もはずれたようでよかった~
って、次は24日?

予言だらけってことはそれだけ地震を恐れているからなんだろうなぁ。
中学生でも地震予言の日付を知っていて、ウワサしているのが怖い

スポンサードリンク