ダウン症児とHSP娘との暮らしのブログ

HSPだと思われる娘とダウン症児の息子と暮らしています。多くの気づきを得られる刺激的な毎日なので、忘れちゃもったいないな・・・と思って綴っているのですが、年々綴るのが遅くなっています。子どもらが育つということは親が年を取るということ。指が動かん・・・。

HSP娘は、目が敏感なのか、眩しいのを嫌います。眩しいと頭が痛くなるらしい。

幼児の時は、「眩しい」とか「頭が痛い」とかいう言葉を知らなかったので、「おめめがいたい」とよく言ってました。

成長した今、よく頭痛を訴えるので、「おめめがいたい」は頭痛の事だったのかな?と思っています。

小中学生の時は、眼科検診で内反症のお手紙をもらってきていて、検診は毎年のように行っていました。が、まつ毛の話は聞いても、眼球については特に言われた事はありませんでした。

夏に海を見に家族で行った時、白い砂浜に青いきらきらした海を

きれい~

と見ていると、

まぶし~、頭痛くなってくる・・・。

と言っていて、海からはそうそうと退散しないといけませんでした。

ユニクロが嫌いみたいです。
ユニクロの商品が嫌いなのじゃなくて、ユニクロの店舗は壁の白が映える作りになっているので、目が痛いんですと・・・。

部屋がごちゃごちゃしているのも嫌がります。
物がたくさんあるのを見ると、頭が痛くなるそうです。

小学生の時は、不思議の国のアリス症候群的な目で、学校の黒板が大きくなったり小さくなったりする~と言ってました。

小学生の時は視力は普通だったのですが、中学生になって視力が悪くなってきました。

ゲームしすぎじゃ!

中学生になって眼鏡を作り、高校生になってコンタクトデビューをしました。視力がどんどん悪くなってきたので、今の視力に合った新しい眼鏡を作りに行こうと言ったのですが、いらん!と言います。

なんで?

と聞くと、

だって、見えすぎると頭痛くなるんだもん。だから見えなくていいの!

え~?見えなかったら生活困るじゃん!

よくわからん娘じゃ~。
メガネは確かにあまり見えすぎる度はよくないらしいですが、買う時に見え方を確認して買ってるのに~。

見えたくないからメガネ新しいのはいらん!という娘。コンタクトは見えても頭痛くならないのか、コンタクトを好みます。

しかし、コンタクトが使えないシーンもあると思うので、使えるメガネは必要じゃろ!と、新しいメガネを買いに行きました。

新しい眼鏡はフレームを娘好みのかわいいやつにして、ブルーライトカットを少し強めにしてみました。カット率が強いとレンズが黄色味がかるので、光がやわらぐかと思ったのですが・・・。

まぶしい、まぶしいって言うからさ~

ブルーライトカットをレンズに入れると、出来上がりに1週間かかるとの事でした。うまく、日々使える物に仕上がってるといいけどなぁ・・・。

娘の目は不思議じゃ~。
いつか、目と頭痛の問題が解決する日がくるかな?と思い記録しておきます。


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夏休みもいよいよあと1週間です。
娘の宿題ラストスパー―――――――ト(`・ω・´)

私も、

夏休みは子どもの宿題と、昼ご飯と、子ども達に幅広い体験を~というイベント着手でへとへと~。でもラストスパート頑張らなきゃ!

夏休みは親も子どもも成長のチャンス!





私の中学生時代の夏休み

年代や学校にもよるのかもしれませんが、私の中学生時代は部活それほど活発でもなかったです。どちらかというと、勉強>部活だったような・・・

昭和生まれの部活は今みたいにきらびやかじゃなかったと思う。

なので、小、中学生の時の夏休みは、退屈だったとしか覚えてないなぁ・・・。習い事は裕福な家庭のもの。我が家は裕福じゃなかったので、宿題以外はなんもすることがなかった。

娘の夏休み

娘の夏休みはヘトヘトという言葉がふさわしいほど忙しいです。

小学生時代も結構忙しかった・・・。
それは習い事やら学習塾があったので・・・。

でも、まだ遊びの時間も多少はありました。

夏休みの間に友達と連絡がつかず、なかなか遊べないという不満も抱えたり、小学生の間は、電話番号を聞くというのが難しかったので、遊びの約束をするタイミングが難しかったです。

電話番号をあっさり教えてくれる子もいるけど、親の方針で教えない家庭もあったりするので、誰でも彼でもと自由に遊べない。学校で連絡を取り合っていたので、小学校時代はそこが不便でした。


しかし、中学生になってから、部活というものが入ってきて、夏休みも毎日部活。でも、学校へ行くことによって友達と連絡が取りやすく、娘にとってはそこはうれしいようです。携帯をもっている子も多く、ラインで自分で連絡を取ることもできるようになりました。

ですが、部活は朝から夕方まであるので、ヘトヘトになって帰ってきます。
宿題どころではありません。せっかく友達と連絡とりやすくなったけど、遊びの計画も立てられない模様。

休みに入ってから、宿題の進め具合の計画も立てたのですが、思うように進みません。
疲れたりすると、すぐさぼる
でも、さぼりたくなる気持ちもわかるようなハードさです。

私が学校生活を離れていた時期に、どのような経緯でこんな忙しい学生生活に移り変わったんでしょう?私の感覚が古すぎるのでしょうか・・・。

娘の夏休みの宿題~普通の中学校

宿題の中身も、私の小中学校時代とは違うように思います。ドリル的なものもあるけれど、考えるものやコツコツ系のものまでバリエーションあり。

ドリル的な物も、私の時代はわら半紙だったと思うのですが、娘はのはカラー印刷の上、上質紙の書店で買うようなドリルです。社会とかはわら半紙でしたが、英語とか理科とか「絵」を見せたいのはカラーの上等ドリルでびっくりしました。

小学校時代は、まだ私の夏休みに近い宿題だったように思ったのですが、
中学校になってから、この量と質はなに?
娘の学校だけなのかな?

いつか娘が大人になったら、こんな事を自分はやっていた・・・と、思い出すことができるように夏休みの宿題を記録しておこうと思います。

自由研究

私の時は自由研究ってあったっけ?田舎の学校だったから?自由研究なんてなかったと思う。いつごろから始まったんだろう、夏休みの宿題は自由研究って・・・。

娘の小学校時代の自由研究は、かなり自由でした。
工作OK、絵OK、服飾OKと、なんでもありだったので、とても楽だったし、テーマを選ぶのも我が家では簡単でした。なんせ、できる事が少ないので、出来ない事を省いていったら、残る・・・って感じで完成度はともかく、「これ」というのはわりとスムーズに決まっていました。

が、中学校では、自由研究は、理科的な物となっているようで、レポート形式でした。
わら半紙のレポート用紙が5枚渡されて、それに自分が研究したものを文章で綴るというものに変わっていました。

絵なんかでお茶を濁せない・・・


本格的な研究レポートを、もう中学生でやるんですね。私、中学生の時「レポート」という言葉知ってたかな?

小学校の時も、そういった研究が好きで、やっている子もいましたが、雲の上の人・・・と、娘と私は考えていました。中学生になって自由研究レポート降りかかってきた~。

本屋さんやネットで自由研究の話題で盛り上がるのがわかる・・・。

今頃?な親子です


国語の宿題、人権作文

読書感想文は小学校でもあったのですが、それに加えて、人権作文も夏休みの宿題に加わっていました。確か小学校では毎年新学期はじまってすぐの授業参観で人権問題を取り上げていたと思うのですが、その前倒し的なものなのでしょうか?。

ただでさえ、作文苦手な娘なのに、人権作文なんて、できるのかな・・・と不安に思った私でしたが、娘が言うことにゃ、

人権作文ってなに?

そこからか~


ユニバーサルデザイン

中学生になってから初めて触れた教科、技術での宿題は、ユニバーサルデザインについて・・・でした。ユニバーサルデザインについての気づいた事、自分ならこうする的なものを文章化、イラスト化して提出するというものだったのですが、

そもそもユニバーサルデザイン、娘知らんし・・・
親も知らんかったし・・・

私、旦那、娘、3人がスマホで検索しまくり・・・

これをスラスラやれる中学生もいるんだろうなぁ・・・
うちは無理でした。
来年に期待・・・できるか?

家庭科の宿題、洗濯、掃除についての気づき

洗濯して、掃除して、気づいた事を書くというものでした。

小学生の時は「親のお手伝い」となっていましたが、中学生になったら、自分からやれよって感じにもっていきたいのかな?

しかし、娘は「掃除洗濯での気づき」は、なんにも気づいてなかったです。
言われた通りにやっただけだから、気づかない。

先生すみません

気づく・・というのは難しい作業です。
人に言われたことをやってもなかなか気づきません。

まだ娘はそこまでの成長段階ではないのです
来年にはもう少し深く考えられるようになってるといいなぁ・・・

美術の宿題、ポスター

小学校時代の図工から美術に変わって、ポスターの宿題が出ていました。環境、選挙、福祉の中のどれかを選んでポスターを描くというものだったのですが・・・。

娘が学校からもらった絵の具が、ガッシュという絵の具。

「ガッシュ」って何?


絵具は水彩かポスターカラーしか知らん!ガッシュってなんだよガッシュって・・・という私なので、昭和の美術とは変わってる・・・って知りました。

しかもこのガッシュとやらを使った後の、パレットを洗うのが大変

学校でパレットを洗ってはいけない事になっているらしく、
↑知らなかった~(゚Д゚;)

学校置きしていた絵の具道具の中のパレットは汚れがびっしりです。

なんでこんなに汚れているの?

と、最初は怒ってしまったのですが、ふつ~に洗っても取れない事が判明・・・。

なんでもアクリルガッシュという絵の具は
顔料を、基剤となるアクリルエマルジョンという、樹脂で包んで作られています。水分を含んでチューブにはいってるのですが、一旦乾いて水分がなくなると、固化して、水に溶けなくなります。樹脂だら若干弾力性があり、ひび割れが起こりにくいです。(yahoo知恵袋より)
なのだそうです。

水分が無くなるとパレットにこびりついて取れなくなるということか~
学校ですぐに洗えば取れるのかな?
私の学生時代は学校で洗っていたけど・・・?

などの疑問沸き起こり・・・

絵の事よりも、絵の具に衝撃を受けました・・・
私と娘の時代かなりずれている・・・

小学校の時はアクリル絵の具を使っていて、パレットは学校のを使っていたらしい。

学校のパレットは絵具がこびりついていて、その上から使うようになっていたよ・・・

と、教えてくれたけど・・・

今頃?小学校の時に言ってよ~

娘はそれが当たり前だったので、特に話題として私に言わなかったようです。
母と時代がこうも違うとは思わなかったみたい。

私もこんなに美術用品が違うと思わなかった

娘と一緒に「取れない、取れない(>_<)」と、パレット洗いから始めました。
そうしないと宿題にとりかかれない(;_;)

バスマジックリンで取れるという記事を見つけたので、それでなんとか落としました。

↓メラミンスポンジ+バスマジックリンで取りました。
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↓パレットに染みた色は取れませんでした。
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道具の手入れ学んだ

理科の宿題、セミの観察

夏休みに入って、少し経ったころだと思うのですが、yahooで、セミの一生を観察すると感動する的なニュースが掲載されていたと思うのですが、タイムリーにも、娘の宿題の中にセミの観察がありました。

セミの抜け殻を種類別に見つけてこいって事だったのですが、その見つける場所は自分が決めた特定の場所で、7日~10日後に最低3回は見に行こう!という宿題でした。

最初、そのセミの抜け殻が何セミの抜け殻かわらかないので、たくさんとってきましたが、調べたらそれは全部「クマゼミ」だということが判明。

こんなにたくさんとってきて、家の中は砂だらけ状態になったのに、クマゼミ1種類かよ!と、娘、驚愕

で、次に行っても、また次に行っても「クマゼミ」の抜け殻しかないのです。

旦那曰く、

こんな都会じゃ、乾燥地帯を好むクマゼミしかいないよ

との事。

夏に実家に帰ると、ミンミンゼミを見つけたので、地域でセミの違いがあることを身をもって知りました。

たまたま実家に帰ったから「ミンミンゼミ」を見つけられてよかった。
そうじゃなきゃ1種類のセミしか見つけられなかったという宿題になっていた・・・。

セミの種類も学べない・・・都会恐るべし・・・

娘のセミ集めの宿題は、

部活が終わった夕暮れにビニール袋もって、木の根元を覗く、中学生女子って感じで、怪しい雰囲気を醸し出しながら頑張っていました。

コツコツ観察系の宿題もなかなかに大変だ~
人目もあるしね~

夏休みの宿題から得るもの

娘の夏休みの宿題は上記の上に、ドリル的なものもあり、スラスラ解ける子はできるだろうと思うのですが、スラスラとはいかない娘にとってかなりの難関でした。

夏休み終了まで1週間前今、まだ若干残っています。

私は夏休みの宿題は前半に済ませる派、だったのですが、前半に済ませられるような量と質じゃなかった・・・。

夏休みの宿題の売買や代行なんてのもわからないでもないかも~

とりあえず、親の力多少は借りつつも、なんとか自分で頑張っていたので、コツコツ忍耐とかにはなったのではないかと思います。

諦めない心とか・・・

宿題の評価はともかく・・・

夏の長い休みってもはや今はデメリットしかないような気がします。
長く休むとなんでも詰まってしまうじゃん

だって昔よりも学びの量が多すぎる

長い休みよりも、日常のゆとりの方がいいのでは?

エアコンが全国の学校に広がった暁には、夏休みを短縮してくれ~というのは親のエゴなのかなぁ・・・。

子ども側からすると、休みが長い方がいいのでしょうか・・・。

大人だけが決めるのではなく、子どもの意見の聞きながら、今後の教育の環境も変化させた方がいいのでは・・・と、娘の中学生ライフを見ながら思ったりしています。


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娘も中1になり、1ヶ月以上が過ぎようとしています。

小学校入学の時は、学校というものがよくわからなかったようで、入学前に学校へ行ったり、学校の校庭で遊んだり、学校に慣れる練習をしました。

HSPの娘は、場所が変わると途端に動きが悪くなります。人慣れもなかなかできないけど、場所慣れも難しかった

でも、中学校は行く人はほとんど小学校と同じ人だし、地域にあるので大丈夫かなぁ~と思って慣れる練習はしませんでした。

地域で頑張っているところだからか、いまどきの中学校はこうなのか、小学校との連携プレーで、小学校へ中学校の先生が出前授業をしてくれたり、小6の子ども達が、学校&部活動見学に行く機会があったりして、学校に慣れる場がありました。

助かる~

幼児期の新しい場所は、いつも私が連れて行って、慣れることをしていたのですが、今度は学校がしてくれるんだ~

でも、これが、親から離れる第一歩的なものなのかな?とも思いました。

子どもは中学校に慣れる準備をしている頃、親は入学前の準備です。入学前のあれこれを記録しておきます。

中学校入学前の準備

保護者説明会が入学前の1月にあり、中学校ではお金がいくらかかるのかという説明がありました。小学校とは違い、部活があったり、小学校ではない教科があったり、制服があったりします。そんな諸々の事にかかわるお金の説明でした。

小学校と中学校の違いは、部活があるという事、教科別の先生が教える事、算数が数学へ、図画工作は美術へ、家庭科は技術・家庭科へ、体育は保健体育へと変わる事、学期毎に大きなテストがある事といった事も説明を受けました。

他、この中学校では、宿題を出さない方針という事も説明されました。
自分で勉強しないと、どんどん置いていかれるよ・・・という事みたいです。

宿題ないとか、娘大丈夫かな?勉強ついていけるのか?




その後、物品購入の説明もあり、別日に、制服採寸。

義務教育だけど、入学するために10万弱は準備しとかないと、入学するにもできない・・・との情報を入手していたので、前々からちびちびと入学資金をためて準備しました。

よかった~やっといて・・・

娘の学校は、10万はいかなかったけど、弱といったところまではかかりました。制服、体操服、ジャージ、靴類、バッグ類、水着などを購入しました。

制服のシャツ類は1枚じゃ足りないし、靴や水着は学校の規則に沿えばいいようですが、学校で買った方が安心安全のような気がしたので、そのまま購入。安い商品探す気力なかった

そうこうしていると、だんだん支払いが巨額に・・・
義務教育侮れない・・・。

入学式後の中学校生活

保護者説明会、制服採寸を終わり、入学式も滞りなく終了。

中学生になった娘は、中学校とは違う授業形態に特に戸惑う感じもなく、部活も自分で選び、あの小学生時代ぼよ~んとした娘にしては、なんとか生活の流れに乗れたようです。

小学校の時とはえらい違い。よかった。

小学校入学してから、知り合いが1人もいなかったので、最初はしょぼんとしてました。中学校のスタートは、地域の顔くらいは知ってる子ばかりなので、なんとなく大丈夫なよう。

仲良くはないけど、知っているというのは安心なよう。HSP娘は、その人がどういう人かわからないってのがダメなようです。

勉強に関しては、小学校とは学び方が違うので、早くも置いていかれてるもよう。

はじめての中間テストで、中間テストが何かよくわかってなくて、テスト勉強してなくて、えらいめにあってました。

小学校でのテストは急にするので、テスト勉強とか関係なかった。でも中学校ではテスト範囲が広く、事前に勉強しておくというのがわからなかったみたい。

あわてて塾を検討しています。

小学校も塾には通っていたのですが、小学生向けの公文や学研でした。小学校を卒業したら、また探さなくてはならなくて、入学してから自分で勉強できそうだったら・・・と、思ったけど、甘かった

塾は必須のよう。他の人にも聞いたけど、高校受験の時に困るから、いまのうちからという話もあったりしました。

まだ中1なのに、もう中3を見据えてるんだ・・・。

親もまだ考え甘いと認識させられました。

これから3年また頑張らねば・・・


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娘もついに小学校を卒業しました。

中学校入学式も終わり、こちらもやっと一息ついたところ。

私の時の小学校卒業式とは違い、子ども達の衣装のきらびやかさに、時代を感じたので、ここに記しておこうと思います。



小学校の卒業式、やっぱり袴は多かった




小学校の卒業式に何を着るの?

と、娘に聞いたら、

袴がいい

と、躊躇なく答える娘。

5年生になると、6年生の卒業式で送る側として参列します。その時に袴を着ている子が多かったのだとか。

袴か~

私のイメージでは、袴は大学卒業とか、そのくらいで着るんじゃないの?と思っていたので、6年生の卒業式で見てきた小学生の袴はその時まったくイメージできませんでした。

あんな苦しいもので式の最中大丈夫?トイレも行きにくいし・・・。なにより着付けが大変じゃん。

と、いろいろ不安材料ばかり考えてしまう私でした。

選んだのは袴ドレス


結局、悩んだ末、娘の卒業式に、我が家が選んだのは、袴ドレスというものでした。

トップスが丈が短い着物、袴がスカートになっていて、ゴムが入ってました。
枕つき帯はマジックテープで止めるものだったし、ぐるぐる巻きの部分が少ないので、身体の負担がすくなく、なにより、スカートなのでトイレも楽。

生地的には少し薄いし、着物のように襦袢や帯、腰ひもなどがないので、正式な袴よりチープに見えるかもですが、洋服感覚で娘でも着られるものだったので、娘の意見を取り入れつつ、私の不安を払拭するものはこれしか選択肢がなかった・・・

でも、我が家の娘はこれで満足していました

ホンマもんの袴


我が家は袴ドレスにしましたが、普通に着付けをした袴姿の子がやはり多かったです。聞いたところによると、レンタルして・・・というのを多くの人から聞きました。

レンタルだと、着付けをしてあげたり、もしくは、着付けを頼んだりと大変だったろうなぁ・・・。何時に起きたんやろ?

とか私は考えてしまいました。

みんなちゃんときれいに着付けして、朝いつも通りに登校してました。袴はめんどくさいという思いは、難なくクリアしてるのね・・・こんな母ですまん娘よ


袴禁止となってしまう学校もあるようですが、

袴禁止にするところの原因は?
・早朝からの着付けや長時間にわたり体を締め付けられることにより、気分が悪くなり、式中にしゃがみこんだり途中で退席せざるを得なくなったりする児童がいた。
・履き慣れない靴のため(略)つまずいたり転倒したりする児童がいた。
・和装など着慣れない服装のため動きにくく、また、着崩れすることにより、準備していた学習の成果(姿勢、歩き方、所作等)が発揮できなかった。
などのようです。

でも、一生に1回のことなんで、きれいにして卒業させてあげたいよね

卒業式に洋服の子も健在


いくら袴が多いといっても、全体の半数くらいはスーツでした。スーツの方が長く着られるし、冠婚葬祭にも便利ですもん。AKBみたいなのが多かったけど、今、いろんなスーツ出てるので、選び放題ですよね。

ドレスの子もいました。

ドレスは少数派だったので、めちゃくちゃ映えてました。

でも、寒そうだった・・・。



卒業式がなんか東京ガールズコレクション的になってた気が・・・
それだけ日本が豊かって事だよね・・・。



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もうちょっとで小学校卒業の娘。

やった~
と、親が喜んでいること、
それは集団登校の付き添いがなくなること~♡

娘が通っている小学校地区では、登校する時は集団登校でした。

居住地を班にわけていて、その班に該当するところの小学生が集まって登校するというふうになっていて、その班に保護者が1人ついていくという形をとっています。



私が小学生の時は、集団登校ではなかったので、それがどんなものか知らなかったです。

小学生に交じって、大人がポツン・・・は、結構居心地悪かった。そういうの好きな保護者の方もいるのかもだけど・・・。

私が連れて行ってた小学生の性格だったのか、すんごくみんな大人しかった。誰も登校時しゃべらない・・・いたたまれん!って感じ

小学生の人数は10人くらいから最高で18人。数ヶ月に1回、1週間、付き添い登校だったのですが、その1週間が苦行。

小学校の登校ってこうだったっけ?友達としゃべりながらの登校の日もあったような気がしたけどなぁ・・・?

同じ学年同士でもしゃべらないんだ・・・。

と、不思議な登校だったです。

昭和の登校風景

私の時の登校時がおかしかったのかな?
昭和の私の登校は・・・

●私は45分かけて、小学校まで歩いて行ってました。(小1の足で、です。小6になると多少早く学校へ行けるようになりましたが、遠かった~
●小学校1年生から一人で行っていました。
●親はまったく心配していないような感じでした。当時、登校を心配していた親いるのかなぁ?
●登校時は、途中で友達と会うこともしばしばで、友達と会うと、お喋りしながら学校まで一緒に行っていました。
●遅刻だ~って時には、他の人の目も気にせず、ひたすら学校まで走ります。

つ~のは、普通じゃない?
今はまったく違うのかな?

集団登校のデメリット

平成生まれの娘の登校風景は私とはまったく違ってました。地域の特色で集団登校?私が田舎の学校だったから集団登校じゃなかったのかな?それとも時代?だんだん犯罪や事故が多くなってきたから集団登校を推奨するようになったのかな?

集団登校で困ったなって場面は・・・

列の先頭を決めるのが難しかった

我が家が所属する集団登校の班には、小1~6年の全学年まんべんなくいました。列は2列に並んで行きます。その列の先頭に高学年の者が、低学年が一番後ろ、低学年の後ろから保護者が付いて行くって形でした。

新しい学年になる前の3月、集団登校時の列の先頭を決める話し合いをします。新しい年度で小6になる子達の中の誰かがリーダーって感じで列の一番前で歩くのですが、そのリーダー選びが大変な時もあったりします。

6年生の誰かが「私がやります」と、毎年言ってくれていたのですが、娘が小6になった時は誰もいなくて揉めて、結局小6の中からは決められなくて、「しかたないからやってあげる」と、言ってくれた子は小6ではなかった。

リーダー不在の年は決めるのが大変だぁ・・・。まぁ前に行きたくない気持ちはわかるけど・・・。

集団登校は低学年にはメリットありですが、高学年には苦痛?

娘の学校までの道のりは、信号機のない横断歩道があり、車もそこそこ通るし、朝の車は結構スピード出してます。子どもが通っているのに車の方はおかまいなしって感じ。歩道も狭いし、歩道内に停める路上駐車もよく見かけます。そんな道路事情なので、小学1年生には少し大変で、親も心配です。

なので、集団登校が親的には安心なのかもしれないけど、子どもら的には楽しくはなさそう・・・。友達でもない人たちと一緒に学校に行くのはなんだか・・・って感じに見受けられました。しかも知り合いでもない低学年の子たちを連れて行かないといけないんで、負担に思っているのかもしれません。

待ち合わせ時間を守るのが難しかった

娘は朝起きるのが大変苦手。
なので、集団登校する待ち合わせの時間に間に合わない、ということもしばしば。

高学年になるにつれて、もう自分で学校行ける・・・という自信があるからか、待ち合わせ時間に間に合わせようとする気すら見受けられなくなっていきました。

それは、高学年の子にありがちなようで、娘が低学年の頃、高学年の子達の中には、待ち合わせ時間に来ない子、いました。

高学年になると、待ち合わせ時間に来ない子は、自分で学校まで行ってもらうというルールにのっとり、時間になると他の集まった子達は学校へ出発します。

出発時間を6年間守るというのは、かなり難しいんじゃ・・・というのを感じました。多少の時間の誤差で学校へ行くということができないので、そこは集団登校のデメリットじゃないかな・・・と、思いました。

列をなして行くのは危険

私が考える集団登校の一番のデメリット、それは、列が長くなると、車がつっこんできたら逃げられない!という事。

集団登校は、2列で歩道を歩いてました。

娘が低学年の時は、8~10人くらいだったのですが、人気の地域になったのか?はたまた人気地域から押し出されてこちらが開発地区になったのか、コーポやマンション、新築の家が出来だして、気づいたら18人の大所帯に・・・

その18人を2列にして、ガードレールもない歩道を連れて歩く。1列だったら18人なので、先頭までめちゃ遠くなる、なんかあっても駆けつけられん!かといって、2列だと狭い歩道にびっちり。

車来るたびにひやひやする~
車がその列をめがけてやってきたり、ちょっと車が方向を誤ると、私たち逃げようがない!

長い列は、散ることが難しいのだ!

しかも、中には、歩道を歩いてくれない子もいる

「あぶないよ~」と注意を促せばすぐに歩道にもどってくれる子がほとんどだったのですが、娘が6年生になった時、注意を促しても、もどってくれない子もいた~

元気ハツラツすぎて、飛んだり、跳ねたり、しゃべったり・・・集団登校中、ヒヤヒヤでした。

小学校の登下校の思い出は、中学校生活の糧に・・・

娘にとって、集団登校はあんまりいい思い出ではありません。

好きな子と一緒に学校へ行きたかった

だよね~。

班の中に好きな子を作れればよかったのですが、HSP娘にそれはちと難しかった

中学生になったら集団登校ではなくなる~

やった~

親もやった~

でも、HSPな娘なので、次の問題を考えついてました。

誰か一緒に学校行ってくれる人いるかな・・・
一人でとぼとぼ行かないといけないかもしれない・・

なんじゃそりゃ?集団登校いやなんじゃなかったの?

一難去ってまた一難?HSP娘は問題を作るのが得意です・・・




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