我が家にダウン症児がやってきた日のお話です。
私は妊娠しやすいタイプじゃなく、長女が生まれた時、
■妊娠初期
■出産
■染色体検査の結果が出ない
■ダウン症だと知ったのは封書での検査結果
■障がい児出産は離婚危機?
と言ってしまったのですが、
私は妊娠しやすいタイプじゃなく、長女が生まれた時、
神様、ひとりでも私たちのもとへ子どもを連れてきてくれてありがとう
と、思ったものでした。
なので、
2人目がその後すぐ来てくれるとは思っていなくて・・・
1年後、ホントにすぐやってきてしまいました。
2人目がその後すぐ来てくれるとは思っていなくて・・・
1年後、ホントにすぐやってきてしまいました。
■妊娠初期
息子は私のお腹の中で、すくすく育ってくれました。
私も体重管理もそこそこできて、特に問題もない妊娠初期時代でした。
私も体重管理もそこそこできて、特に問題もない妊娠初期時代でした。
当時、出生前診断は羊水検査とトリプルマーカーという検査で、新出生前診断はありませんでした。
通っていた病院のドクターは命の尊厳を大切にする先生で、出生前診断を勧めない方針だったので、出生前診断について言われることはありませんでした。言えばしてくれたと思うのですが、院の方針や、娘がまだ生まれたばかりだったことで、なんだか言う方向ではなかった、というのが妊娠初期時代の様子です。
今思えば、これが運命の分かれ道?だったのかも。
もしかしてここで、出生前診断をしていたらどうなっただろう?と、思うこともありますが、今では、我が家に息子が来てくれてよかったと思っているので、検査しなくて良かった、と、心から思っています。
■妊娠中期
■出産直前
■妊娠中期
息子はよくお腹を蹴る子で、お腹が張って痛かったです。娘の時は、ひたすらじっと我慢してその日(この世に出てくる日)を待っているような感じでした。
早く出せ~
と蹴っていたのかもしれません。
その他、長女と違ったエピソードは、なかなか性別が確認できなかったこと。
病院に診察にいった時など、エコーでお腹の中を見ているドクターに性別を聞くたびに、「隠れてわからないんだよね~」というのが何度もあって、わかったのは、出産予定日にかなり近くなってからでした。今考えると息子は「ダウン症」というアイテムを持って生まれてくることを、私に隠したかったんじゃないかな~なんて思っています。
この頃、娘の方が大変だったです。母乳しか飲んでくれなくて、息子のために卒乳したかったのですが、あまりにもミルクを嫌がったので、産婦人科の看護師さんと相談して、ぎりぎりまで母乳をあげることにしました。私は母乳が出るタイプではなかったので、これが結構つらかったです。
この頃、娘の方が大変だったです。母乳しか飲んでくれなくて、息子のために卒乳したかったのですが、あまりにもミルクを嫌がったので、産婦人科の看護師さんと相談して、ぎりぎりまで母乳をあげることにしました。私は母乳が出るタイプではなかったので、これが結構つらかったです。
今思えば、母乳を卒業したくなかった娘は、息子に
お母さんは渡さない
みたいな感じだったのかなぁ・・・?
■出産直前
出産日も押し迫ったある日、前期破水という症状?スーパーで買い物していたら、下から水が・・・。
慌てて病院に行きましたが、その時は、まだ大丈夫だと思うから、あまり動き回らないように・・・とのことで帰宅しました。
しかし、0歳の長女の世話もありますし、動き回らないは無理!
しかし、0歳の長女の世話もありますし、動き回らないは無理!
ある朝、私は、夢を見ていました。お腹の子が自分で胞衣?みたいなのをピッと割る夢でした。
起きたら、パンツが濡れていて、病院に駆け込み、入院決定となってしまいました。
起きたら、パンツが濡れていて、病院に駆け込み、入院決定となってしまいました。
2週間ほど入院しましたが、もうもちそうにないから産もう、ということになり、妊娠促進剤で出産という運びになりました。
入院中、破水したくせにわりと元気だった私は、妊娠促進剤投与の後、再放送をやっていた「ひとつ屋根の下」を「わ~やった~見ようっと」と、ウキウキしていました。
しかし、その矢先、陣痛が~(>_<)
えええ~?今?せっかくテレビ見ようと思っていたのに~妊娠促進剤効くの早すぎる~
と考えていた呑気な母への息子のいやがらせじゃないかと思ったりしてました。
促進剤~陣痛~出産の運びは早かったと思います。昼過ぎくらいに促進剤投与だったのですが、それからしばらく休んでて~といわれ、テレビを見ようとした16時少し前に陣痛。そして出産は17時くらいでした。「ひとつ屋根の下」を見てゆっくりしているハズだった時間に、陣痛で私は吐きまくり、旦那は病院に呼ばれ、私の背中をさすらないといけないハメに・・・。
旦那は、
出産には立ち会わんからな・・・
と言うタイプ。私もべつに、
いいよ~
てな感じだったのですが、運の悪い奴なのか、長女の時も、なぜか旦那が休みの日で、しかも出産時そばにいさせられて、出産場面を見る羽目になり、
今回は、病院から召喚命令~。陣痛で苦しんでいる間、なぜか私は吐き気を催すタイプで、ゲーゲー吐いたもんで、呼ばれたのかも。看護師さんから、「背中さすってあげて!」
と、命令されていました。
■出産
さあ出産という時は、産科、小児科のドクター、看護師さん、たくさんの人が、足元にいっぱいでめっちゃ恥ずかしかったです。旦那は娘と一緒に別室にいてくれたみたい。
陣痛~出産までの時間は1時間ほどで、吐きまくったけど、時間的にはそんなに長い時間じゃなかったです。
出産じたいもころっと出た、といった感じで出産できました。
しかし、出産した後の、ドクターの行動が・・・。
娘の時は、カンガルーケアとかしてもらえたのですが、息子はささっと連れていかれてしまいました。34週で出ちゃったので、しかたないけど、なんかさみしかったのを覚えています。
その後、息子は保育器直行、私は出血も多かったので、大人しく寝てろと病室へ直行。
しばらくして、病室へドクターがやってきました。そこでダウン症だと思うと伝えられました。
「顔をみたらダウン症の特徴の顔をしているから検査した方がいいと思う」
と、先生は言っていました。
ダウン症の顔ってどういう顔よ!
と、怒りたくなったけど、言われた事が衝撃的すぎて、「検査お願いします」としか言えませんでした。
■染色体検査の結果が出ない
検査結果がなかなか出なくて、結局私の退院の日までは出ませんでした。つ~か、息子の退院日にも出てなかった。1ヶ月くらいかかりました。(私は1週間ほど、息子は2週間入院でした。)
その間、不安で、不安で、ダウン症の特徴とは?と、入院中も、退院後もずっと調べていました。その頃は、スマホもなかったし、インターネット内の情報も今ほどたくさんなかったです。でも本の情報の方がすごく古くて、ネットの情報の方が新しく感じました。
その時、調べたダウン症の特徴は・・・
- 目が吊り上がってる。
- 目と目の間隔があいている。
- 手相がますかけ線。(猿線というそうです)
- 身体がやわらかい。
- 耳、頭、口が小さい。
- 手の小指が短い。
などでした。
先生はダウン症の顔ってどこを見て思ったんだろう?
とも考え、モンモンと過ごしました。
■ダウン症だと知ったのは封書での検査結果
検査結果は封書で届きました。
検査結果
【染色体異常が認められました。】
検査コメント
【トリソミー21を認めました。】
と、書かれてあり、中には染色体の写真も入っていました。
赤ちゃんのベテランの先生の言う通り、息子は「ダウン症」でした。
■障がい児出産は離婚危機?
先生からダウン症だと思うと伝えられた時、旦那にどう伝えたら?とか、伝えて「離婚」とか言われたらどうしよう」とかぐるぐる頭の中を回りました。でも伝えないわけにはいかないので、素直に言われた事をそのまま伝えました。
離婚と言われるのが怖くて、その後に、
離婚する?
と言ってしまったのですが、
なんで?ダウン症だったのは仕方ないさ。
とあっさり言ってくれました。
「ダウン症」を一番に受け入れてくれたのは、産んだ「私」ではなく「旦那」でした。このことが私はすごくうれしくて、ここから私たち家族が始まった・・・と、今でも思っています。
■障がい児育児の始まり
今考えると、「なんで離婚なんだ~?」と情けなく思っていますが、この時は思考がおかしくなっていた気がします。
生まれた子が障がいを持っていようといまいと受け入れようって思うのは、私にとって結構難しかったです。でも、障がい児育児が始まるとなってしまうと、受け入れざるを得ないので、最初は見切り発車って感じでした。
この先々、たくさんの受け入れがたい事も起こるのですが、だんだんとそれを「面白い」と、思えるようにもなってきました。
↓保育器生活から脱出できた日に看護師さんに撮ってもらいました。(この頃、写真はそう頻繁に撮るものではなかった・・・スマホもなかった(^^;))
ちょっと人とは違う育児だけど、いいじゃないって思いながら、家族で楽しもうとここに書いています。
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