ダウン症児とHSP娘との暮らしのブログ

HSPだと思われる娘とダウン症児の息子と暮らしています。多くの気づきを得られる刺激的な毎日なので、忘れちゃもったいないな・・・と思って綴っているのですが、年々綴るのが遅くなっています。子どもらが育つということは親が年を取るということ。指が動かん・・・。

    娘(小学生)

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    大雨の時の朝はいつもバタバタドキドキ。

    警報出てるの?出ないの?

    学校が休みになるのか、ならないのかを見極めるためにやきもきして、朝の忙しい時間を過ごします。

    息子の支援学校は7時になった時点で何かの警報が出てると、即学校休みになります。支援学校生、普通の登校でも大変なのに、大雨、暴風、なんて日に登校するの無理!なので、即休校はわかる気がします。

    支援学校生は、常にぴょんぴょん跳ねてしまう子や、まっすぐ歩けなかったり、人にぶつかるって距離感を図るのが難しかったり、信号の意味もわからない、なんて子結構多い。傘さして歩けない子もいるし、目的地まで連れて行くのがすごく大変だもんね。



    娘の普通の学校は、小、中までは大雨、暴風警報が朝7時の時点で出ていると、休校になり、洪水、高潮警報は、学校長の判断にゆだねられるとなっていました。

    学校生活ってどこもこんな感じと思っていたのですが、高校は違ってた~

    娘の高校は、暴風警報の時は休校になるけど、他の警報では休みとはならないとなっています。

    今日は大雨警報だったので、雨ジャンジャンの中、学校へ行きました。10時くらいになると、雨はジャンジャンどころかガンガン降ってきて、うちの近くにある川の水位が上がってきた~とのメールが自治体からきました。

    げげげ、娘大丈夫かな?帰ってこられるかな?

    不安になったところ、「雨ひどいので、昼までで学校終了です」のお知らせが娘の高校からきました。

    ええ~?水位今上がってきてるのに、今帰らせるの?
    なら今日は休みにしてくれたらよかったのに~!!!

    高校の暴風警報の時のみ休みと定めている意味がよくわかりません。他の学校は違うのかな?と調べたところによると、
    一番警報が出るのが大雨警報。大雨の影響での危険は少ないと考えられている。
    暴風警報は、登校時、物が飛んできたり、風に飛ばされたりするから危険と判断している。

    と見ました。大雨警報では休みにならないところが多いの?知らなった~

    でもよ
    大雨も道が冠水したり、登校中の道の下水や川が氾濫したらどうすんの?

    と、なんか腑に落ちませんでした。

    大雨の中登校した娘は、地域の川の水位が上がってる~という情報の中帰ってきたので、ハラハラしました。

    もう警報での休校判断を縛るより、その時、その時を学校で判断して、メールで休校、登校の判断してくれないかなぁ・・・。無駄に朝からやきもきするのに疲れたな・・・。


    娘が小学校の時は、ミマモルメという機体を借りていたので、そこから一斉メールで情報をもらっていました。でもその時は、まだ細かな発信って感じではなかったです。

    中学校の時は、1年生の時は、急な休校のお知らせは電話連絡網での伝言になっていて、2年生になってからライデンスクールというメール連絡網ができました。世の中のメールでの発信が当たり前的になってきたからか、学校からの発信がだんだん多くなってきました。

    その時くらいが、一番メールでの学校からの情報発信が微妙な時期でした。学校にメールアドレスを持たれると、何をされるかわからん的に思う保護者もいて、アドレスを入手するのが困難、情報を流す時、紙とメールの2体制でした。なので急な発信が難しく、コロナの時めちゃくちゃ困りました。(PTA活動での体感から書いています。)

    高校では、1、2年生の時はメール連絡。メールアドレスを提出は当たり前って感じでした。iPadを入学時に買わないと~だったので、生徒への連絡もばっちりだったのですが、高3ではアプリが登場しました。

    しかし!
    現在、アプリがあるのに、大雨だ~と前日から世の中大騒ぎになってるのに、なんの連絡もなく、下校連絡のみありました。

    アプリあるなんてすばらしいのに、活用してくれてない気がする。

    以前よりずっと細かな情報発信を学校もできるようになっているので、保護者のテレビなどでの警報確認よりも、学校からの登校、休校のお知らせを切望する私です。

    ちなみに息子の支援学校は、保護者が迷子にならないようにかもしれないけど、メールでの細かい発信があります。今はアプリでの発信になりました。
    ・インフルエンザ流行ってます
    ・コロナでお休みの人〇〇人
    ・〇年生学級閉鎖
    ・明日はお弁当が必要です
    ・スクールバス遅れます

    きめ細やかなお知らせ、めちゃくちゃ助かってます


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    HSPじゃ?と思っている我が家の娘は、物を覚えていられないので困っています。

    記憶する事自体があまり得意ではないみたい。

    歴史や文学的な文章を覚えるのがとても苦手。旅行に行ったりすると、その旅行後の記憶がだんだん曖昧になってきて、細部が事実とは別に書き換わっていたりもします。

    歌詞を覚えたり、ダンスを覚えたりはめちゃくちゃ早いのですが・・・。

    娘は、

    興味があることはできるけど、興味がないことはできない。

    と、言っています。

    そりゃ誰でもそうなんだよ!

    でもちょっと行き過ぎなんじゃ?と心配しているのですが、そこまで言うとHSPな娘なので、気に病みすぎるから言えません~


    そんな娘は誕生日や記念日を覚えておくのも苦手。

    小学生の時、友達から誕生日プレゼントをもらっても、友達の誕生日を覚えきれなくて、自分からは渡すことができなかったりしました。

    中学生くらいになると、メモを取ることを覚えて、メモに人の誕生日とかを書いているようでした。

    高校生になると、それに母の日が入ってきたみたいで、ここ数年、母の日にプレゼントを渡してくれるようになりました。

    覚えてたの?

    と聞いたら、

    いつもメモ見てチェックしてる・・・。

    と言ってました。
    チェックしてくれてるのか・・・。
    うれしいけど、ちょっと複雑だなぁ・・・。


    旦那も記憶があれ?なタイプ。
    歴史的な人類の流れとか、長い文学的話とか覚えられないので、まったく興味持てないみたいです。

    こやつも、

    覚えていても意味ないから、覚えなくていい!

    とか言っていて、娘と同じように興味ない事は覚えないタイプです。

    二人の共通点は、長く保つ記憶が苦手だということ。
    でも、短期のほんの一瞬的な記憶はめちゃくちゃうまい。

    〇〇がなくなったので買わないと~とか、どこどこに〇〇を置いたとかはすごくよく覚えてるのに、〇〇に旅行に行ったね~とか、そこで〇〇なことがあったよね、とかは全然覚えてない二人

    そんな旦那も今年は母の日を覚えてくれて、私に缶ワインを「母の日」として買ってきてくれました。

    一緒になった当初は私の誕生日覚えてなくて、会社の健康保険証作る時、被保険者の私の誕生日間違って申請してたっつ~黒歴史があるから、覚えててくれたのはうれしかったです

    なんで覚えてたの?
    と、聞いたら、娘が母の日の事を相談したらしくて、そこで母の日の存在を思い出したみたいです。

    なんだかこれも複雑だなぁ・・・。

    どうして昔のことは覚えてられないのかな?と調べてみたところ、長期記憶と短期記憶というのがあるのを知りました。

    <長期記憶、短期記憶>
    目や耳などの感覚器から入ってきた情報は、脳の奥にある海馬に一時的に保管されて、記憶しようと思った情報のみが大脳皮質に刻み込まれるという仕組みになっているそうです。

    記憶が保たれる時間によって、「短期記憶」「長期記憶」とあるのだとか。

    海馬にとどまるだけの情報が短期記憶、数秒から1分ほどの短い記憶。

    大脳皮質に送られて保管される情報が、長期記憶。数分から年単位におよぶそう。

    じゃあ、うちの父娘は大脳皮質に情報送ってないってことなのかな?
    長く覚えておく事にメリットを感じてないから送っても無駄と思ってるとか?

    ありえる・・・。


    長期記憶が苦手って人は、結構いるようです。
    でも日常的には、長期記憶よりも、短期記憶の方が使う場面が多いから、あんまり支障ないって話。

    まぁね・・・。
    でも家族の誕生日くらいは覚えててほしいよね・・・。

    娘については、クリスマスが12月24,25日ってのを最近覚えたとか、

    毎年クリスマス過ごしてて、カレンダーの日付スルーしてたんか~い!


    家の電話番号も、オープンスクールでのアンケートを何回も書くので覚えたとか、
    オープンスクールのアンケート、娘にとってはいい仕事してる。他の人にはきっと毎回書かないとだからうんざりだろうけど

    娘の学校での覚えるタイプのテストの点数はもうあきらめた。
    興味がないからという言い訳聞くだけだもん

    どこどこに旅行に行ったってのは最近、スマホで写真撮ってるので、なんとなく覚えてるっぽい。
    iPhoneグッジョブ

    長期記憶を伸ばすには、覚えるって作業を繰り返しやるしかないって感じ。

    でもそこまでやる気もなさげ。
    人には得意不得意があるということで、人生送るんだろうなぁ・・・。

    ちなみに私は長期記憶が得意で、短期記憶が不得意です。なので、彼らの長期記憶を私が受け持ち、今日の晩御飯には〇〇と〇〇買わなきゃだから覚えといて、とか、さっきまで持ってたのに、〇〇どこに置いたっけ?なんてのは彼らの役目です。

    私が逝った後、娘にもそういった人がそばにいてくれるといいなぁ・・・。

    記憶については下記にも書いてます。よかったらどうぞ。

     

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    娘もついに小学校を卒業しました。

    中学校入学式も終わり、こちらもやっと一息ついたところ。

    私の時の小学校卒業式とは違い、子ども達の衣装のきらびやかさに、時代を感じたので、ここに記しておこうと思います。



    小学校の卒業式、やっぱり袴は多かった




    小学校の卒業式に何を着るの?

    と、娘に聞いたら、

    袴がいい

    と、躊躇なく答える娘。

    5年生になると、6年生の卒業式で送る側として参列します。その時に袴を着ている子が多かったのだとか。

    袴か~

    私のイメージでは、袴は大学卒業とか、そのくらいで着るんじゃないの?と思っていたので、6年生の卒業式で見てきた小学生の袴はその時まったくイメージできませんでした。

    あんな苦しいもので式の最中大丈夫?トイレも行きにくいし・・・。なにより着付けが大変じゃん。

    と、いろいろ不安材料ばかり考えてしまう私でした。

    選んだのは袴ドレス


    結局、悩んだ末、娘の卒業式に、我が家が選んだのは、袴ドレスというものでした。

    トップスが丈が短い着物、袴がスカートになっていて、ゴムが入ってました。
    枕つき帯はマジックテープで止めるものだったし、ぐるぐる巻きの部分が少ないので、身体の負担がすくなく、なにより、スカートなのでトイレも楽。

    生地的には少し薄いし、着物のように襦袢や帯、腰ひもなどがないので、正式な袴よりチープに見えるかもですが、洋服感覚で娘でも着られるものだったので、娘の意見を取り入れつつ、私の不安を払拭するものはこれしか選択肢がなかった・・・

    でも、我が家の娘はこれで満足していました

    ホンマもんの袴


    我が家は袴ドレスにしましたが、普通に着付けをした袴姿の子がやはり多かったです。聞いたところによると、レンタルして・・・というのを多くの人から聞きました。

    レンタルだと、着付けをしてあげたり、もしくは、着付けを頼んだりと大変だったろうなぁ・・・。何時に起きたんやろ?

    とか私は考えてしまいました。

    みんなちゃんときれいに着付けして、朝いつも通りに登校してました。袴はめんどくさいという思いは、難なくクリアしてるのね・・・こんな母ですまん娘よ


    袴禁止となってしまう学校もあるようですが、

    袴禁止にするところの原因は?
    ・早朝からの着付けや長時間にわたり体を締め付けられることにより、気分が悪くなり、式中にしゃがみこんだり途中で退席せざるを得なくなったりする児童がいた。
    ・履き慣れない靴のため(略)つまずいたり転倒したりする児童がいた。
    ・和装など着慣れない服装のため動きにくく、また、着崩れすることにより、準備していた学習の成果(姿勢、歩き方、所作等)が発揮できなかった。
    などのようです。

    でも、一生に1回のことなんで、きれいにして卒業させてあげたいよね

    卒業式に洋服の子も健在


    いくら袴が多いといっても、全体の半数くらいはスーツでした。スーツの方が長く着られるし、冠婚葬祭にも便利ですもん。AKBみたいなのが多かったけど、今、いろんなスーツ出てるので、選び放題ですよね。

    ドレスの子もいました。

    ドレスは少数派だったので、めちゃくちゃ映えてました。

    でも、寒そうだった・・・。



    卒業式がなんか東京ガールズコレクション的になってた気が・・・
    それだけ日本が豊かって事だよね・・・。



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    もうちょっとで小学校卒業の娘。

    やった~
    と、親が喜んでいること、
    それは集団登校の付き添いがなくなること~♡

    娘が通っている小学校地区では、登校する時は集団登校でした。

    居住地を班にわけていて、その班に該当するところの小学生が集まって登校するというふうになっていて、その班に保護者が1人ついていくという形をとっています。



    私が小学生の時は、集団登校ではなかったので、それがどんなものか知らなかったです。

    小学生に交じって、大人がポツン・・・は、結構居心地悪かった。そういうの好きな保護者の方もいるのかもだけど・・・。

    私が連れて行ってた小学生の性格だったのか、すんごくみんな大人しかった。誰も登校時しゃべらない・・・いたたまれん!って感じ

    小学生の人数は10人くらいから最高で18人。数ヶ月に1回、1週間、付き添い登校だったのですが、その1週間が苦行。

    小学校の登校ってこうだったっけ?友達としゃべりながらの登校の日もあったような気がしたけどなぁ・・・?

    同じ学年同士でもしゃべらないんだ・・・。

    と、不思議な登校だったです。

    昭和の登校風景

    私の時の登校時がおかしかったのかな?
    昭和の私の登校は・・・

    ●私は45分かけて、小学校まで歩いて行ってました。(小1の足で、です。小6になると多少早く学校へ行けるようになりましたが、遠かった~
    ●小学校1年生から一人で行っていました。
    ●親はまったく心配していないような感じでした。当時、登校を心配していた親いるのかなぁ?
    ●登校時は、途中で友達と会うこともしばしばで、友達と会うと、お喋りしながら学校まで一緒に行っていました。
    ●遅刻だ~って時には、他の人の目も気にせず、ひたすら学校まで走ります。

    つ~のは、普通じゃない?
    今はまったく違うのかな?

    集団登校のデメリット

    平成生まれの娘の登校風景は私とはまったく違ってました。地域の特色で集団登校?私が田舎の学校だったから集団登校じゃなかったのかな?それとも時代?だんだん犯罪や事故が多くなってきたから集団登校を推奨するようになったのかな?

    集団登校で困ったなって場面は・・・

    列の先頭を決めるのが難しかった

    我が家が所属する集団登校の班には、小1~6年の全学年まんべんなくいました。列は2列に並んで行きます。その列の先頭に高学年の者が、低学年が一番後ろ、低学年の後ろから保護者が付いて行くって形でした。

    新しい学年になる前の3月、集団登校時の列の先頭を決める話し合いをします。新しい年度で小6になる子達の中の誰かがリーダーって感じで列の一番前で歩くのですが、そのリーダー選びが大変な時もあったりします。

    6年生の誰かが「私がやります」と、毎年言ってくれていたのですが、娘が小6になった時は誰もいなくて揉めて、結局小6の中からは決められなくて、「しかたないからやってあげる」と、言ってくれた子は小6ではなかった。

    リーダー不在の年は決めるのが大変だぁ・・・。まぁ前に行きたくない気持ちはわかるけど・・・。

    集団登校は低学年にはメリットありですが、高学年には苦痛?

    娘の学校までの道のりは、信号機のない横断歩道があり、車もそこそこ通るし、朝の車は結構スピード出してます。子どもが通っているのに車の方はおかまいなしって感じ。歩道も狭いし、歩道内に停める路上駐車もよく見かけます。そんな道路事情なので、小学1年生には少し大変で、親も心配です。

    なので、集団登校が親的には安心なのかもしれないけど、子どもら的には楽しくはなさそう・・・。友達でもない人たちと一緒に学校に行くのはなんだか・・・って感じに見受けられました。しかも知り合いでもない低学年の子たちを連れて行かないといけないんで、負担に思っているのかもしれません。

    待ち合わせ時間を守るのが難しかった

    娘は朝起きるのが大変苦手。
    なので、集団登校する待ち合わせの時間に間に合わない、ということもしばしば。

    高学年になるにつれて、もう自分で学校行ける・・・という自信があるからか、待ち合わせ時間に間に合わせようとする気すら見受けられなくなっていきました。

    それは、高学年の子にありがちなようで、娘が低学年の頃、高学年の子達の中には、待ち合わせ時間に来ない子、いました。

    高学年になると、待ち合わせ時間に来ない子は、自分で学校まで行ってもらうというルールにのっとり、時間になると他の集まった子達は学校へ出発します。

    出発時間を6年間守るというのは、かなり難しいんじゃ・・・というのを感じました。多少の時間の誤差で学校へ行くということができないので、そこは集団登校のデメリットじゃないかな・・・と、思いました。

    列をなして行くのは危険

    私が考える集団登校の一番のデメリット、それは、列が長くなると、車がつっこんできたら逃げられない!という事。

    集団登校は、2列で歩道を歩いてました。

    娘が低学年の時は、8~10人くらいだったのですが、人気の地域になったのか?はたまた人気地域から押し出されてこちらが開発地区になったのか、コーポやマンション、新築の家が出来だして、気づいたら18人の大所帯に・・・

    その18人を2列にして、ガードレールもない歩道を連れて歩く。1列だったら18人なので、先頭までめちゃ遠くなる、なんかあっても駆けつけられん!かといって、2列だと狭い歩道にびっちり。

    車来るたびにひやひやする~
    車がその列をめがけてやってきたり、ちょっと車が方向を誤ると、私たち逃げようがない!

    長い列は、散ることが難しいのだ!

    しかも、中には、歩道を歩いてくれない子もいる

    「あぶないよ~」と注意を促せばすぐに歩道にもどってくれる子がほとんどだったのですが、娘が6年生になった時、注意を促しても、もどってくれない子もいた~

    元気ハツラツすぎて、飛んだり、跳ねたり、しゃべったり・・・集団登校中、ヒヤヒヤでした。

    小学校の登下校の思い出は、中学校生活の糧に・・・

    娘にとって、集団登校はあんまりいい思い出ではありません。

    好きな子と一緒に学校へ行きたかった

    だよね~。

    班の中に好きな子を作れればよかったのですが、HSP娘にそれはちと難しかった

    中学生になったら集団登校ではなくなる~

    やった~

    親もやった~

    でも、HSPな娘なので、次の問題を考えついてました。

    誰か一緒に学校行ってくれる人いるかな・・・
    一人でとぼとぼ行かないといけないかもしれない・・

    なんじゃそりゃ?集団登校いやなんじゃなかったの?

    一難去ってまた一難?HSP娘は問題を作るのが得意です・・・




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    娘は今年、小学校卒業です。
    娘的には、

    6年生の1年間は、散々だった。

    そうです。

    支援学級と普通学級を行き来しているお友達のお世話係に、先生が何かと任命してきて、修学旅行も、運動会も、クラスの係さえ、その子と一緒にしないといけなかったのだとか・・・。



    娘の担任の先生は、娘の弟が支援学校に行っていることを知っています。私の推測なのですが、
    多少なりとも障がいを見ているということから、お世話係に任命したのかな?と思ってしまいました。

    しかし、娘はぽやっ~としている天然ちゃんなので、人の世話ができるタイプじゃありません。

    弟が障がいを持っていても、姉が世話焼けるわけじゃないんだよ!

    娘にも世話をしてくれる人が必要な時があるのにさ~。先生どこ見て任命してるのかなぁ・・・。

    担任の先生は、支援学級のお友達の世話を、お世話係に丸投げで、できていないと、「出来ていないじゃないっ」と、その支援学級の子と一緒に娘も怒られてしまうそう。

    なんじゃ!そりゃ!

    すごい暴言を健常の子どもが支援学級の子達に浴びせてることも度々あるそうですが(ごく一部の子ども達のよう)、そんな時先生は、「そんな事言わない!!」とは、怒ったりする時もあるみたいです。

    障がい児が絡む場面でうまくできない先生なのかな~?

    娘はそういった暴言吐く健常の子たちと、支援学級の子の間で、板挟みになってしまい、支援学級の子と学級の事をすると、健常の子たちがすっと引いて行くのを感じる・・・と、言っています。

    障がいを持つ人とかかわるの、大人でも難しいので、子どもにはなおさら難しいよね・・・



    インクルーシブ教育って、学校じゃ無理では?

    そこにいる子達の心の状態によっては、まったくできない事もある気がします。場に集まった人がよければ、インクルーシブになるのかもしれませんが、そうじゃなかったら、えらいこっちゃやと思うんだけどなぁ。

    なので、息子は支援学級ではなく、支援学校にしました。

    ただでさえ生徒数多いのに、その多さの中、子どもらを導くって先生はめちゃ難しい立ち位置にあり、子どもらは忙しい先生の導きが少ないと、どうすればいいかわからんという場面になっちゃう。

    今の日本の学校で、インクルーシブ教育だぁって思われる学校いくつある?つ~か、インクルーシブの前に、健常者同士の仲もこじれてる気がします。

    普通の子どもと先生の仲が良くなる方が急務では?

    そこができてからのインクルーシブだと思うんだけどなぁ・・・。

    息子が幼児期に通った保育園はインクルーシブでした。でもそれは先生がたくさんいて、なおかつ学習ではない場面だったからいけたと思っています。

    子どもにお世話係を任命することなく、大人が世話をしていたからか、子ども達がその世話の状態をみて、「俺にもやらせて~」「私もしたい~」と、息子の世話を子どもがしたがるという図式でした。

    学習は個々の能力が如実に出てしまうので、学校でインクルーシブは難しいのではないかと思います。

    お世話係ができてしまう背景を考えたら、インクルーシブ教育を考えるになってしまった。インクルーシブ・・・「仲間はずれにしない」、「みんないっしょに」という意味だそう。

    しかし、一緒にやる事によって、普通の子のお世話係が仲間からはじかれるとはこれいかに?

    先生も大変なんだろうけど、先生に便利に使われてしまう子達にもスポットライトを当てて、ちょっとでもそんな事が減るといいな・・・。

    子どもにインクルーシブ教育するのではなく、大人がインクルーシブ学んだ方がうまくいくんじゃないかな・・・。

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