娘は今年、小学校卒業です。
娘的には、
支援学級と普通学級を行き来しているお友達のお世話係に、先生が何かと任命してきて、修学旅行も、運動会も、クラスの係さえ、その子と一緒にしないといけなかったのだとか・・・。
娘の担任の先生は、娘の弟が支援学校に行っていることを知っています。私の推測なのですが、
多少なりとも障がいを見ているということから、お世話係に任命したのかな?と思ってしまいました。
しかし、娘はぽやっ~としている天然ちゃんなので、人の世話ができるタイプじゃありません。
担任の先生は、支援学級のお友達の世話を、お世話係に丸投げで、できていないと、「出来ていないじゃないっ」と、その支援学級の子と一緒に娘も怒られてしまうそう。
障がい児が絡む場面でうまくできない先生なのかな~?
娘はそういった暴言吐く健常の子たちと、支援学級の子の間で、板挟みになってしまい、支援学級の子と学級の事をすると、健常の子たちがすっと引いて行くのを感じる・・・と、言っています。
障がいを持つ人とかかわるの、大人でも難しいので、子どもにはなおさら難しいよね・・・
インクルーシブ教育って、学校じゃ無理では?
そこにいる子達の心の状態によっては、まったくできない事もある気がします。場に集まった人がよければ、インクルーシブになるのかもしれませんが、そうじゃなかったら、えらいこっちゃやと思うんだけどなぁ。
なので、息子は支援学級ではなく、支援学校にしました。
ただでさえ生徒数多いのに、その多さの中、子どもらを導くって先生はめちゃ難しい立ち位置にあり、子どもらは忙しい先生の導きが少ないと、どうすればいいかわからんという場面になっちゃう。
今の日本の学校で、インクルーシブ教育だぁって思われる学校いくつある?つ~か、インクルーシブの前に、健常者同士の仲もこじれてる気がします。
息子が幼児期に通った保育園はインクルーシブでした。でもそれは先生がたくさんいて、なおかつ学習ではない場面だったからいけたと思っています。
子どもにお世話係を任命することなく、大人が世話をしていたからか、子ども達がその世話の状態をみて、「俺にもやらせて~」「私もしたい~」と、息子の世話を子どもがしたがるという図式でした。
学習は個々の能力が如実に出てしまうので、学校でインクルーシブは難しいのではないかと思います。
お世話係ができてしまう背景を考えたら、インクルーシブ教育を考えるになってしまった。インクルーシブ・・・「仲間はずれにしない」、「みんないっしょに」という意味だそう。
しかし、一緒にやる事によって、普通の子のお世話係が仲間からはじかれるとはこれいかに?
先生も大変なんだろうけど、先生に便利に使われてしまう子達にもスポットライトを当てて、ちょっとでもそんな事が減るといいな・・・。
子どもにインクルーシブ教育するのではなく、大人がインクルーシブ学んだ方がうまくいくんじゃないかな・・・。
娘的には、
6年生の1年間は、散々だった。
そうです。支援学級と普通学級を行き来しているお友達のお世話係に、先生が何かと任命してきて、修学旅行も、運動会も、クラスの係さえ、その子と一緒にしないといけなかったのだとか・・・。
娘の担任の先生は、娘の弟が支援学校に行っていることを知っています。私の推測なのですが、
多少なりとも障がいを見ているということから、お世話係に任命したのかな?と思ってしまいました。
しかし、娘はぽやっ~としている天然ちゃんなので、人の世話ができるタイプじゃありません。
弟が障がいを持っていても、姉が世話焼けるわけじゃないんだよ!
娘にも世話をしてくれる人が必要な時があるのにさ~。先生どこ見て任命してるのかなぁ・・・。担任の先生は、支援学級のお友達の世話を、お世話係に丸投げで、できていないと、「出来ていないじゃないっ」と、その支援学級の子と一緒に娘も怒られてしまうそう。
なんじゃ!そりゃ!
すごい暴言を健常の子どもが支援学級の子達に浴びせてることも度々あるそうですが(ごく一部の子ども達のよう)、そんな時先生は、「そんな事言わない!!」とは、怒ったりする時もあるみたいです。障がい児が絡む場面でうまくできない先生なのかな~?
娘はそういった暴言吐く健常の子たちと、支援学級の子の間で、板挟みになってしまい、支援学級の子と学級の事をすると、健常の子たちがすっと引いて行くのを感じる・・・と、言っています。
障がいを持つ人とかかわるの、大人でも難しいので、子どもにはなおさら難しいよね・・・

インクルーシブ教育って、学校じゃ無理では?
そこにいる子達の心の状態によっては、まったくできない事もある気がします。場に集まった人がよければ、インクルーシブになるのかもしれませんが、そうじゃなかったら、えらいこっちゃやと思うんだけどなぁ。
なので、息子は支援学級ではなく、支援学校にしました。
ただでさえ生徒数多いのに、その多さの中、子どもらを導くって先生はめちゃ難しい立ち位置にあり、子どもらは忙しい先生の導きが少ないと、どうすればいいかわからんという場面になっちゃう。
今の日本の学校で、インクルーシブ教育だぁって思われる学校いくつある?つ~か、インクルーシブの前に、健常者同士の仲もこじれてる気がします。
普通の子どもと先生の仲が良くなる方が急務では?
そこができてからのインクルーシブだと思うんだけどなぁ・・・。息子が幼児期に通った保育園はインクルーシブでした。でもそれは先生がたくさんいて、なおかつ学習ではない場面だったからいけたと思っています。
子どもにお世話係を任命することなく、大人が世話をしていたからか、子ども達がその世話の状態をみて、「俺にもやらせて~」「私もしたい~」と、息子の世話を子どもがしたがるという図式でした。
学習は個々の能力が如実に出てしまうので、学校でインクルーシブは難しいのではないかと思います。
お世話係ができてしまう背景を考えたら、インクルーシブ教育を考えるになってしまった。インクルーシブ・・・「仲間はずれにしない」、「みんないっしょに」という意味だそう。
しかし、一緒にやる事によって、普通の子のお世話係が仲間からはじかれるとはこれいかに?
先生も大変なんだろうけど、先生に便利に使われてしまう子達にもスポットライトを当てて、ちょっとでもそんな事が減るといいな・・・。
子どもにインクルーシブ教育するのではなく、大人がインクルーシブ学んだ方がうまくいくんじゃないかな・・・。