ダウン症児とHSP娘との暮らしのブログ

HSPだと思われる娘とダウン症児の息子と暮らしています。多くの気づきを得られる刺激的な毎日なので、忘れちゃもったいないな・・・と思って綴っているのですが、年々綴るのが遅くなっています。子どもらが育つということは親が年を取るということ。指が動かん・・・。

小学生ライフ

娘は今年、小学校卒業です。
娘的には、

6年生の1年間は、散々だった。

そうです。

支援学級と普通学級を行き来しているお友達のお世話係に、先生が何かと任命してきて、修学旅行も、運動会も、クラスの係さえ、その子と一緒にしないといけなかったのだとか・・・。



娘の担任の先生は、娘の弟が支援学校に行っていることを知っています。私の推測なのですが、
多少なりとも障がいを見ているということから、お世話係に任命したのかな?と思ってしまいました。

しかし、娘はぽやっ~としている天然ちゃんなので、人の世話ができるタイプじゃありません。

弟が障がいを持っていても、姉が世話焼けるわけじゃないんだよ!

娘にも世話をしてくれる人が必要な時があるのにさ~。先生どこ見て任命してるのかなぁ・・・。

担任の先生は、支援学級のお友達の世話を、お世話係に丸投げで、できていないと、「出来ていないじゃないっ」と、その支援学級の子と一緒に娘も怒られてしまうそう。

なんじゃ!そりゃ!

すごい暴言を健常の子どもが支援学級の子達に浴びせてることも度々あるそうですが(ごく一部の子ども達のよう)、そんな時先生は、「そんな事言わない!!」とは、怒ったりする時もあるみたいです。

障がい児が絡む場面でうまくできない先生なのかな~?

娘はそういった暴言吐く健常の子たちと、支援学級の子の間で、板挟みになってしまい、支援学級の子と学級の事をすると、健常の子たちがすっと引いて行くのを感じる・・・と、言っています。

障がいを持つ人とかかわるの、大人でも難しいので、子どもにはなおさら難しいよね・・・



インクルーシブ教育って、学校じゃ無理では?

そこにいる子達の心の状態によっては、まったくできない事もある気がします。場に集まった人がよければ、インクルーシブになるのかもしれませんが、そうじゃなかったら、えらいこっちゃやと思うんだけどなぁ。

なので、息子は支援学級ではなく、支援学校にしました。

ただでさえ生徒数多いのに、その多さの中、子どもらを導くって先生はめちゃ難しい立ち位置にあり、子どもらは忙しい先生の導きが少ないと、どうすればいいかわからんという場面になっちゃう。

今の日本の学校で、インクルーシブ教育だぁって思われる学校いくつある?つ~か、インクルーシブの前に、健常者同士の仲もこじれてる気がします。

普通の子どもと先生の仲が良くなる方が急務では?

そこができてからのインクルーシブだと思うんだけどなぁ・・・。

息子が幼児期に通った保育園はインクルーシブでした。でもそれは先生がたくさんいて、なおかつ学習ではない場面だったからいけたと思っています。

子どもにお世話係を任命することなく、大人が世話をしていたからか、子ども達がその世話の状態をみて、「俺にもやらせて~」「私もしたい~」と、息子の世話を子どもがしたがるという図式でした。

学習は個々の能力が如実に出てしまうので、学校でインクルーシブは難しいのではないかと思います。

お世話係ができてしまう背景を考えたら、インクルーシブ教育を考えるになってしまった。インクルーシブ・・・「仲間はずれにしない」、「みんないっしょに」という意味だそう。

しかし、一緒にやる事によって、普通の子のお世話係が仲間からはじかれるとはこれいかに?

先生も大変なんだろうけど、先生に便利に使われてしまう子達にもスポットライトを当てて、ちょっとでもそんな事が減るといいな・・・。

子どもにインクルーシブ教育するのではなく、大人がインクルーシブ学んだ方がうまくいくんじゃないかな・・・。

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今年の我が家にはサンタが来ないです。
つ~がサンタは来ないという宣言を私がしました。

■ゲームにハマっている娘に喝

夏休みに、すっかりゲーマーとなった娘。
あまりに時間を無視してゲームをするので、そんな生活をしていると、サンタは来ないと前々から言っていました。

そして事件は起こりました。
学研の宿題をゲームのためにする時間がなくなったみたいで、宿題をしていかなかったという事件。

学研って宿題をもらって勉強するところじゃん?宿題してなんぼのところが学研でしょ?それをしなかった?

自称めったにキレない私。しかしこの時ばかりはキレまして、

サンタは今年来ないよ。手紙書いてもムダだから。

と、なったのでした。

娘はもう小学6年生なのですが、毎年サンタに「今年のプレゼントは○○にしてください」というおねだりの手紙を喜々として書いています。できるだけ希望にそうために旦那と私は頑張ってきたのですが、今年は怒りに達しすぎて、その気になれない!

そして、娘は「手紙書いてもムダ」発言に、顔色が変わるほどひどく落胆していました。

まだサンタを信じてるんだな。


そういえば、私が言う事よりも、アンパンマンの言うことを聞くやつだった。

いつまでサンタを信じるのか?
サンタ信じてる時期長すぎて、友達にからかわれることになったりしない?

サンタの存在は難しいなぁ・・・。私の気持ち一つで存在が消えてしまう・・・

■サンタクロースの存在を知らない息子

息子の場合ですと、サンタすら知らんのじゃないかな~。

クリスマス=サンタクロースの認識はまったくないと思います。

息子は療育に気を遣う環境にいるからか、毎年誰かしらがサンタの格好をして現れたり、学校では先生たちが、デイサービスでは職員の方々が、一生懸命クリスマスを意識してちょっとしたプレゼントやクリスマスツリーの飾りつけなんかを作る時間を設けたりしています。

クリスマス会もどこかで絶対一回はあるし、とても恵まれた環境です。

にもかかわらず、

クリスマス、きっと知らんと思います
サンタの格好をした人にあっても、気にもしていません。

カレンダーがわかってない。
一生懸命教えてるんですが、意味がわかってないみたいです。
ちなみに曜日もわかってない

毎日をせいいっぱい生きているだけなんです。今日は何の日?なんて気にもしてないし、何かの日というものがあることに気づいてないです

一生懸命、イベント組んでるんだけどな。

でも、自分が欲しいものがもらえるとうれしいしそうです。ただ、それが何の日でも関係ありません。自分のもとに欲しい物が来ればそれでOKみたい

誕生日も意識して、いろんな子の誕生日を今まで祝ってきたのですが、実際彼の中に「誕生日」の意味が入っているかは疑問・・・つ~が母の目からみると「わかってないだろうな~」って感じです。

でも、誕生日会で歌う「ハッピーバースディトゥユー」は知っていますし、ケーキにろうそく立ててふ~と吹くんだ・・・というのは知っています。

それで楽しそうです。それだけでいいみたい。

何の日?

が問題なのではなく、その時の楽しい気持ちが大事みたい。クリスマスやイベントが大切なのではなく、そこに集う人と一緒に楽しむのがうれしいようです。

人が集うってイベントでもないと難しいもんね。

■私が小さい時はクリスマスはこれほど盛大ではなかった

クリスマスって私が小さい時、こんな大々的なイベントではなかったので、どっちかというと、盆暮れ正月の方がイベントって感じでした。

盆暮れ正月、冠婚葬祭などのイベントでは、親せきが集まって飲んだり、歌ったり、踊ったり、大人たちがしていました。
大人たちが集まると、男衆は飲んだくれて、叔母さんたちが「さぁ、歌おうかい」とか言って、みんなで「黒田節」とか歌ってた。そんな中で、踊る人とかも出てきて、みんなそれが楽しかったみたい。
私は小さかったので、何が楽しいのかよくわかんなかったけど・・・。

桃の節句、5月の節句などの、子どものための昔からのイベントは、小さい時なかったな。多分私の両親はそういったイベント興味なかった。

そう考えてみると、子どものためのイベント満載な、昨今のこの風潮はうらやましいかぎり・・・。

つ~が、イベントを経験してきていないので、クリスマスの楽しみがわからないから、クリスマスを簡単に抹殺できる私なのかも・・・

子どもがいなかったらきっと、人生の中で、こんなに深く、クリスマスやサンタのことを考えたりしていないと思います。

■ついでの旦那の場合

旦那は、サンタもクリスマスもいらんって感じの人です。

なによりプレゼントが嫌いで、自分が必要ではない物をもらうのが嫌なんだって。

旦那も子どもの頃、イベントを祝う習慣の家族ではなかったようで、子どもの頃にそういったものは自分の中から抹殺してしまっているみたいです

■そんな我が家のこれからのクリスマスは果たして?

まったくクリスマスに縁がなかった両親が、これまで一生懸命クリスマスを頑張ってきましたが、今年はクリスマスを祝う気持ちまったくなくなりました。

今年はツリーすら出すつもりはありません。

イベントごとは、人生のちょっとしたスパイスのようなもので、ずっと平坦な毎日の方が生きるのに大変ではないかと思います。

なので、そのスパイスのような時間を少しでも作ってあげたい・・・と、気持ちはあるんだけど、今年は無理!

再来年、どうなるかな?我が家にクリスマスって必要?もしかして娘だけに必要なのかもしれない。

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息子のマラソン大会は11月に、娘は12月にあります。

支援学校の生徒にとって、冬は大敵なので、寒くなる前に~と11月にするのかな?

娘は普通の学校なので、寒さに負けない身体を作れといわんばかりの、寒風にさらされる大会となります。そして、親もその寒風にさらされながらの応援です

かといって、支援学校は寒風にさらされないかというと、それがとんでもない。支援学校はちょっと街中から離れた場所にあるので、街中の気温より低い

マラソン大会は、子どもらにとっても試練の大会ですが、親にとっても試練の大会。ま、だんだんと親が応援する機会はなくなるとは思うんですけどね



■支援学校のマラソン大会

公立の学校と支援学校では、マラソン大会の在り方がちょっと違います。

●支援学校の生徒たちは、順位を気にせず自分流で走る

息子のマラソン大会は、とても賑やかです。いろいろな子がいます。やる気なさげな子、元気が余ってマラソンに気持ちが向いてない子、脱走を試みる子とかいたりして、親はハラハラしながら見ています。

支援学校の子ども達のマラソン大会で一番すごいなぁと思うのが、

みんな順位を気にしていない

つ~が順位知ってる子いるのかな?
順位というものをわかってない・・・。他人よりみんな自分、自分の目標周数を目指して走っています。

コースを走ってても、急にコース逸脱する子もいたりします。先生がさりげなくコースに誘導~目標なんて知るか~って気にしてないんだろうなぁ

息子は、応援席の父兄にアピールしまくりです。
見てもらえるのがうれしいみたい。

みんな、見て。俺、上手に走ってるでしょ。

見てもらう事がすごくうれしいみたいです。でも、親の目を意識しすぎて、テンションが上がりすぎコースを淡々と走る事が出来なくなってしまい、コースをはみ出てしまったりしてました。

ぎゃ~!私が見てるからダメなのかな?隠れた方がいいかなぁ~?

反対に見られるのが苦手な子もいて、お母さんから見られると、まったくやる気がなくなってしまったり、挙動不審になってしまう・・・という子どもも少なくないみたいです。

他にも「走りたくない~」「つかれた~」と座り込んじゃう子がいたり・・・。
支援学校のマラソンは、個性の花が咲き乱れています。

●マラソン大会は、先生方には試練のイベント?

支援学校のマラソン大会は、先生方にも試練のイベントかも?だって先生も生徒と一緒に走ってるもんね。

一緒に走って、励ましたり、時に、手を引いたり・・・

なるべく生徒に頑張ってもらいたいのでしょうが、一人で走ることが難しい子も多いので、先生の伴走は必要です。

先生達ずっと一緒に走ってる!すげ~!

もう私は、一緒に走れません。息子の方が早いもん。3歳まで歩けなかったんだけどなぁ

●親の喜びは順位ではなく、走っている姿

支援学校の子ども達は順位というシステムがわからないので気にしていませんが、親も順位気にしてる人はいないと思います。

とにかく、ちょっとでも走れたらうれしいし、まともに完走したら、ちょ~うれしいです。

走ってくれそうもない雰囲気の時もあるので、そこをなんとか走る方向にもっていき、みんながマラソンを楽しめればそれでいい。競争という概念が存在しないのが、支援学校のマラソン大会

息子は昨年までは、息子ができるであろう距離設定を結構ゼーゼー言いながらこなしていましたが、今年は、長い距離のコースに初めて出て、頑張って完走できました。

このコースは、先生もつかない、自分たちだけで走るコースで、息子にとっては難関コース。

息子自身は、去年よりも長いコースだともわかってないし、

あれ?先生一緒に走らないんだ?

という感じで、なぜ一緒に走ってくれないかもわかっていなくて、大丈夫かな?とハラハラしながら私たちは見ていましたが、言われるがままに走ったみたいで、なんとか無事終わりました。

途中、ハプニングで、同じ走っている子にちょっかい出して、ちょっかい出した子にめっちゃ嫌がられてた

ぎゃ~!何やっとるんだ~!


もっとぜーぜー言って走るかと思ったのですが、そうでもなく、大会が終わると、もう違う事ではしゃいでました。

体力ついたんだな~と、実感しました。
以前の息子ではない。

病弱、病弱とか思っていたけど、パワーアップはしていたんだ~

走る事の意味もわからず走らされていますが、人に見てもらって、楽しく走っているので、その気持ちがすごいなぁと毎回感心しています。

そして、結果的に子どもらの体力になっているのが、親にはわかるので、支援学校のマラソン大会は私は意義のある大会ではないかと思っています。



娘のマラソン大会

娘は走るのが苦手。というのも、走り方、フォームがおかしいのです。
足が回っていない~

足が腿から引き上げられて、ぐるぐる回るから走れるのに、彼女はどっちかというと跳んでる。
足をピンと伸ばして、地面を蹴ってるので、バレエの癖が出てる?

娘はバレエを幼児の頃からずっと習っていて、ピンと足を伸ばすことをに意識を集中しなきゃならない事が多かったからか、しなやかに曲げるとか、すばやく両足を回転させるという使い方があまりよくわかっていないっぽい。
ballet
歩き方も少し変です。

トウシューズで歩くことになれてしまったからか、トウシューズ履いてなくても、そんな感じの歩き方やってます。

↓トウシューズって裏に硬いもん貼ってるから、歩く時、裏全部べたっとつけて歩く感じになってしまうんです。


本人も、スイスイ走っている子を横目で見つつ悩んでいます。

でも~親がそこでアドバイスすると、

ママに言われるとムカつく

らしいです

娘のマラソン大会を見るのはこれが最後かも・・・。
中学校では親をマラソン大会に招待したりするのかな?
いや、しないだろう・・・

年齢アップすると、ますます自分だけとの戦いになっちゃうんだね。
今のうちにもうちょっと素直になって、人のアドバイスは聞いた方がいいよ~とか思っている母の思いは、届かぬうちに卒業となりそう。

普通の学校の子ども達は、みんな順位もそこそこ気にするし、タイムを気にしている子もいるみたい。

私、息子の感覚になれてしまっているので、

タイム気にできるなんてすご~い♡

とか思ってしまう。バカにしてるわけじゃなく・・・。

娘自身は、順位は最後にならなければ~と・・・
上位は狙っていないけど、最下位はイヤみたい。

タイムはほとんど気にできるほど、6年間早く走れていないしね

タイムはともかく・・・歩き方、走り方は気にしているようで、治した方がいいんじゃないの?将来お年寄りになってから膝とか腰とかにくるかもよ・・・

とは言っているのですが・・・むかつくのか~、やりにくい年頃だ

歩き方や走り方に疑問を抱いている娘に、普通の歩き方、走り方が身について、軽やかに走れる日がくるといいな・・・来年に期待します

■なぜマラソン大会があるのか?

マラソン大会ってなぜあるのでしょう?

私が小学生の時、あったっけ?
中、高ではやった記憶あり。

いつから始まったのかな~?

私自身はマラソン嫌いで、足も早くなかったです。

しかも寒い時期になぜ外で走らにゃならんのだ~というタイプでした。
寒いのが死ぬほど苦手

子どもらには嫌な記憶を残したくなくて、せめて楽しく、自分の身体を確認したり、振り返るものにしてほしくて、そういった方向性で、声かけ、応援をしているつもりなんですけど、子どもらはどう思ってるかなぁ

「マラソン大会 なぜ行う」で検索してみたら、
学校のカリキュラムの目的
●純粋に能力を評価する
●目標達成の過程を評価する

これらがうまく盛り込まれたのがマラソン大会。

別にマラソン大会じゃなくても、上記の目的が盛り込まれていればよい。
マラソン大会は上記の目的を盛り込んで、評価しやすいから行っているのではないか・・・
という検索結果が・・・。

え?走るという方向じゃなくていい?

私も憂鬱だったけど、娘もマラソンの時間憂鬱みたい。好きな人もいるかもだけど、私ら親子は嫌いです~

なんか他の物に切り替わる時はくるのかな?

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娘も小6の終わりが見えてきました。

小学1年生の時から6年生の1学期までは、サザエさんのカツオのように、学校から家に帰ってくると、ランドセルを置いて、宿題もせんと、速攻遊びに出かけるような日常でした。

■アウトドア派からインドア派へ

ですが、小5の時にお友達のところでさせてもらったというスプラトゥーンに心奪われてしまい、我が家にはWiiUがないので、スイッチが出るのを待ち、スイッチ版スプラトゥーンが出るのを待ち、ようやく買った7月。

スイッチ買った記事こちら↓

夏休みに彼女の日常は、ゲーマーと化してしまい、2学期に入っても、もはや外で友達と遊ぶ・・・という子ではなくなっていました。

ちょうど、そういったお年頃だったのか?
一緒に外で遊んでいた子たちも、外で遊んでいる姿を見かけなくなりました。

ゲームはカツオ(娘)もゲーマーに変えるんだ?

と、びっくりしている今日この頃です。

以前、ゲーム波が娘の周りに来た時は、DS3や妖怪ウォッチが流行った頃。
小2か小3くらいでした。

一応3DSも、妖怪ウォッチのソフトも買ったのですが、あんまりしませんでした。
なので、てっきり、彼女はゲームにあまりハマるタイプではないんだな~と、思っていたのですが、

そんなこた~なかった~
しっかり、ゲームの波に乗る日々がやってきました

小学校低学年の頃は、単に彼女の思考が幼なすぎて、ゲームについていってなかったのかもしれません。



■小学生の外遊びの内容

小学校低学年では、学校帰りに「○○公園で待ち合わせ」という約束をしてきていて、ランドセルを置いてすぐさま出かけていました。

家にお友達を呼んだりしても、すぐにそのお友達と外に遊びに出かけてしまうという、お尻が軽い子でした。

家の中で遊んでもおもしろくないみたいで、約束がない日は、顔が曇っている・・・と、こちらがわかるくらいで、外で遊べないと、つまんない・・・って言ってました。

外遊びの内容は、

学校や公園の遊具施設、鉄棒、雲梯、滑り台、ぶらんこなどで遊んだりしているようでした。
おやつと水筒を持って行ってたので、公園でおやつ食べたり、おしゃべりが主で、鉄棒、ブランコはついで?って感じの遊び方のようでした。

その後、学校で、縄跳びを習えば、縄跳びで遊び、学年が上がるにつれ、学校でドッチボールやバスケットなどを習えば、ボールを持って遊びに出かけるといった感じでした。

バドミントンやテニスは、ラケットの扱いが難しいからか、5,6年生になってからするようになりました。

友達と道具を持ち寄ってやっていたので、友達がいたから、外遊び優先だったのかもしれませんが、ほぼ毎日のように友達と外で遊ぶのが日課になっていたので、宿題をする時間を捻出するのがすごく大変な日々でした。

しかも、水筒が空っぽになったとか、おやつが足りないなんて時や、何かトラブルがあると呼びにくるし、待ち合わせに○○ちゃんが来ない~なんてので、すぐ家に帰ってきていました。

そしてまた外へまっしぐら。
家を出たり、入ったりしてました。

■外遊びの終了はあっけない

ですが~、おやつと水筒もって出て行った日々はもう帰って来ないみたいです。

ころっとあっという間にそんな日々は終わりました。

ある日を境に外で遊ばない日が続き・・・
外で遊ばない日は宿題終わるとゲーム。

いつのまにか、その日々ばかりになり、外遊びに行くという習慣から抜けている・・・といった感じです。

あれだけ、友達と外で遊んでいたのに・・・



「今日は遊びに行かないの?」と聞くと
「行かないよ」

と、返ってきて、宿題して、ゲーム。

最初は学校で何かあったのかな?とも思ったけど、
お友達とは普通に話をしているみたい。

単にゲームの方が楽しくなったのかな?

■インドアになると本も読む?

娘はゲームもやりだしたけど、最近本も読むようになりました。

彼女と本は、「天敵なの?」と思われるほど、本が嫌いでした。読み聞かせとかも嫌いで、聞いてくれなかったです。

本がお前になんかしたのか?って聞きたくなるくらい、本をわざと避ける風があり、本に親しんでもらいたいと、いろいろ考えたのですが、小学校高学年にもなると、親がどうこういう感じではなくなったため「本に親しむ作戦」は断念してしまいました。

娘が本を嫌いな理由・・・文字を目で追うのがめんどくさいのでは?と、私は分析していましたが~ここにきて、かわいい感じの本に目覚めまして、いままでの娘とは違う日常がやってきました。

↓今娘がおもしろいと言って読んでいるのが「いみちぇん」

挿絵がかわいい本が好きなんだそうです。
絵本にもそんなのいっぱいあったじゃん。何故絵本は読まなかったんだろう?

↓こんな本も読んでます。




なら、漫画はだめなん?と聞いたのですが、漫画は嫌なんですと~。

なんでだろう?



小6の1学期までは本を読め~と言うのはあきらめて、学校からの宿題の音読で、毎日読んでるからもういいやって思っていたのですが、絵本すっ飛ばして児童書に入る子もいるんだなぁって学びました。

他の小6女子の日常がどんなもんかはわかりませんが、娘の今はこんな感じ。

もしかしてこれは成長?
という事件が起こっているようですので、書き留めておこうと思います。

↓公園族だった娘はいったいどこへいったんだろう?成長って不思議


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インフルエンザ来襲のメールが息子の支援学校からメールがきました。

近頃の支援学校はこのようなメールも送ってくれるのか~と、感心してしまいます。

支援学校へ行っているいわゆる「障がい児」と言われている子ども達は、とっても冬が苦手で、インフルエンザが来襲すると、バタバタと倒れてしまいます。

普通の学校の子ども達よりも、あっさりとやられてしまうのです。

校長先生が、

「冬は我が校の生徒たちにとって、試練の季節。病気が蔓延してしまうので、体調管理を万全に~」

てな話をしておられましたが、何度もブログにはわが息子にとっての「冬」の恐怖を書いてきたのですが、それが息子だけではないことを教えてくれました。

「障がい児」は自分の「障がい」とも闘わなければならないのですが、さらに蔓延する「ウイルス」や「細菌」とも闘わなければならないのです。


■インフルエンザや他の感染症と言われる病気を予防するには・・・


うちの息子の場合は、

手洗い、うがい

このくらいの予防術しかもってな~い

うがいは難しく、なんども練習し、やっとできるようになりました。
手洗いも頑張っていますが、完璧には程遠い感じです。

というのも感染しやすい原因かも・・・

「暑い」「寒い」という体の感覚はもっていて、それなりにわかっているのですが、「暑い」から衣服を脱ぐ、「寒い」から衣服を着るって~のが難しい。

暑い→衣服脱げばいいっていう風に考えないのが息子です。まだそこまで成長してないって事なのかな~。


食べ物も、そこそこなんでも食べるのですが、それが血となり肉となり、彼の身体を強くするのに、普通の人より時間がかかっている・・・という感じがします。

なんてったって5年生なのに、服のサイズ130だも~ん
130なんて、小1か小2くらい?

どんなに手洗い頑張っても、どんなにうがいしなさ~いと、うがいを奨励しても、「障がい」によって引き起こされているのではないかと思われる身体のつくりはどうしようもなく、「予防」という言葉の前には「無力感」が漂ってしまいます・・・

■障がいをもって生まれてきている子たちは、生きていることが奇跡かも・・・

息子が小学校に上がってから、4年生までの間にクラスメートが2人も亡くなってしまいました。

それは感染症ではなかったけれど、ある日突然の訃報。

入院していて、徐々に命の火が消えて~
なんてシチュエーションではなかったです。

「ある日突然」が起こりやすいのがこの子たちなのだな~と、その2人の命で学びました。

感染症だけでなく、事故や、天災や、はたまた国家の一大事・・・なんて事すべてに弱い子たちです。

でも、逆に考えるなら、この子たちの命がすくすく育つ世の中ならば、普通の人たちはもっと楽々すくすく育つ世の中なんだよなぁ~。

クリーンな空気とか、
体にいい食事とか
安心な大地とか・・・

毎年、毎年、インフルエンザやその他の感染症におびえるのにもう疲れた~

なんて思ってしまっている私。
冬はまだまだはじまったばかり。

でも夏すぎてから、風邪的な感染症にもうすでに3回も侵され、その感染症によって起こった鼻水や体内の浸出液が、目や耳に害を及ぼし、抗生物質や鼻水の薬の投与でやっと治っているという事態になっています。

それでもなんとか、乗り切って、来年の春から夏にかけても楽しく過ごそうっと!

頑張るぞ~(^O^)/

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