ダウン症児とHSP娘との暮らしのブログ

HSPだと思われる娘とダウン症児の息子と暮らしています。多くの気づきを得られる刺激的な毎日なので、忘れちゃもったいないな・・・と思って綴っているのですが、年々綴るのが遅くなっています。子どもらが育つということは親が年を取るということ。指が動かん・・・。

教育

放課後等デイサービスを使用しているため、半年に一回のモニタリングを行わなければならないようになりました。

■モニタリングとは・・・

riyoukeikaku


放課後等デイサービスを利用する際は、障害児支援利用計画を作成しなくてはならないのです。

障害児支援利用計画を作った記事はこちら↓


小1の時は作成しなくても役所にデイサービスを利用したい旨を伝えて、申請書を提出すればそれでOKでした。

でも、小3くらいで障害児支援利用計画を作成しないと、放課後等デイサービスは利用できないというお達しがきて、小5で作成しました。

2年の空白は、作成順番を待っていたんです~。



支援計画を作成したら、その後、計画が順調に進んでいるか、「実施状況の把握」と「計画の見直し」をしないといけないんです。

それがモニタリング(定期的な検証)。半年に1回行われることになっています。

放課後等デイサービスを利用にあたって、障がいをもつ本人にとって適切なサービスを行っているか?利用頻度や利用時間は?など、

障害児支援利用計画で立てた目標が達成されているか、サービスが合っているかどうか等を検証し、次の療育目標をまた設定しなおす、という事がモニタリングの目的だそう。

放課後デイサービスにおける「サービス」とは、「療育のお手伝い」。
子ども達に必要な、生活、または学習の「環境」であったり、「教え」であったり、「行動の手助け」を、私たちは提供してもらっています。

成長の度合いが、子ども達で「かなり」違うので、個人の「ここまでがんばろう」がとても重要です。

みんな一緒には進めないところが障害をもつ子ども達の難しいところ・・・。



「計画」と銘打って、子ども達の成長を確認し、次の目標を設定して、その目標を子ども達の周りにいる大人達で共有することはとても大事な事と私は思っています。

子ども達自身は、「目標」を認識できる子は少ないけれど、目標が達成される喜びはみんなわかります。

「できたね」はどんな子もすごく喜びます。

「できたね」がわかるというのは、「できていない」というのも、子ども達はきっとわかっていると思うのです。

表にそれを表現できる子もいれば、できない子もいるけれど、どの子も「できない」「できた」はすごくわかっていて、「できた」の喜びは子ども達の人生の糧であると私は思っています。

■我が家のモニタリング

初回の支援計画を作成後、半年たってもお呼びがかからず、まだかな?まだかな?と思っていたところ、

「忙しくて手が回らなかったので、今回は訪問のみで~」と、支援計画を作ることを依頼している園から急に電話がかかってきました。

もう半年過ぎてますけど~?



しかも、会議形式で、学校とデイサービス、家庭、支援計画をつくるところと4者会談で、計画をつくる、

ということじゃなかったの?

電話をもらった数日後、

計画のための聞き取りの人が我が家にやってきて、息子の様子、デイサービスの様子、学校での様子などを聞いて帰られました。

その後、モニタリングシート(案)が出来上がったので、サインをしに来てくださいとのことで、サインをしに行きました。

サインをした時点で(案)ではなくなります。

そのモニタリングシートを、息子にかかわる各関係機関、デイサービス、学校、病院、聴覚支援学校などに配布してくれとのことで、たくさんもらってきました。

えええ~?私が配らないといけないの?



で、あっちこっちに今配布して回っているところです。

こんな感じなの?
モニタリングって?
私と学校とデイサービスがやったことを聞いてまとめただけ?

■モニタリングシートの内容

息子のモニタリングシートの中には、

●我が家での息子の様子が記された項目
●我が家がお世話になっているデイサービスから見た息子の様子が記された項目
●学校での息子の様子
●病院で診断した今の息子の状況
●聾唖学校で行っている補聴器の調整や、指導内容


などが、びっちり1枚に書かれていました。我が家への聞き取り調査は訪問という形だったけど、学校、デイサービスへは電話で聞き取りしたようで、その聞き取った内容をまとめて書いていました。

次回は、また半年後、

デイサービスと学校と私と、支援事業所の相談員の4者会談が次回実現か?
今度は息子も~と言われていたような~。

でも、半年後になったら、また変わりました~とか言われそうな気もします・・・

まだまだ「障害児支援計画」や「モニタリング」のシステムは完成されていない状況のようです。

■放課後等デイサービス利用の流れ

今回で一通り、今の放課後等デイサービス利用の流れがつかめた感じもします。

数年前、我が家が放課後等デイサービス利用のために行ったことは、


利用したい放課後等デイサービスに、「利用したいんですけど~」と、申込みに行く。

役所に利用のために必要な、通所受給者証の申請に行く。

受給者証が来て、利用開始。

と、単純な仕組みだったのですが・・・

今は、
利用したい放課後等デイサービスの空き状況をまず確認。(人気のところはなかなか空かないみたいです。)

利用したいデイサービスを確保して、役所に放課後等デイサービスを利用したいと申込み。

障害児支援利用計画案を作成支援事業所に依頼、もしくは自分で作る。

この計画案を元に、通所受給者証が発行される。

放課後等デイサービス利用開始。

半年毎のモニタリング

という感じの流れなのかな?

自治体によって違うかもしれませんが・・・。
(後で勘違いでした~ってところもあるかも・・・

私が利用し始めた時は、放デイ自体が少なかったので、単純な方法でよかったのかもしれませんが、今はたくさんできて、しかもいろんな特色があり、そして、利用の際の決まり事も複雑になりすぎてわけわから~ん

連携をとらなくてはならないところも増え、我が家と繋がったばっかりに、
「これ、この間の会議の内容のコピーです。」
と、私は配って回らなければならないし、
相手はわざわざ受け取らなくてはならない・・・

という事態もなんだかイヤだなぁ~

それだけ、息子にいろんな人がかかわって、息子のことを考えてくれているという事であって、それは、ありがた~いことなんですけどね

■放課後等デイサービスはどこへ・・・

介護の世界でも「モニタリング」というものがあり、介護支援専門員(ケアマネジャー)が、適正なケアマネジメントが提供されているかどうか?状況の変化に応じた利用者のニーズが新たに発生していないか?常に把握していなければならないのだとか・・・。

介護の世界では、ケアマネージャーさんがやっているみたいですが、
障がい児の世界では、決められた支援事業所やる・・・ということになっているようです。

でも・・・
介護の世界のように、ケアマネージャーさんを放課後等デイサービスに置いて、利用計画を作ってくれた方がいいのかなぁ~?

しかし、もし、放デイ側と我が家でなんらかのトラブルがあった時、放デイで福祉サービスをマネージメントしてもらうと、他のサービスにまで影響が???

などと考えてしまいます

放課後等デイサービスで、計画を作ってくれるところもあるんですけど、我が家の場合、利用していて急に「障害児支援計画」作れの方向性に変わったので、慌てて支援事業所と契約したという流れで・・・

今現状では、「しなければならない」ものをこなすのにやっとって状況。
多分、支援計画を作る事業所さんも同じなのかな。

本人支援計画の中には、放課後等デイサービスの利用だけじゃなく、障害のための福祉サービス利用などをする時も、「計画の見直し」になるので、支援計画書を作っているところに相談を先にしないといけないよう。

勝手に福祉課に「このサービス利用したいです」と言って、利用開始にはならない?そういった意味では、モニタリングって「監視」の意味?

それって、私らが必要と思っているサービスも、
そりゃいらんやろ・・・と言われたらおしまいってことよね?

こわい



親や学校などが、障害をもつ子ども達に、「必要」と考えることが、すぐに「あ、必要なんだな」と理解してくれて、そのサービス利用に向けて手続きしてくれるってんならいいんですけどね。

お母さんの希望は?とか家庭で困っていることは?と、支援計画を作る際に聞いてくれるけど、

その支援計画を作る目的が、
「市」や「国」側を守るためなのか?
障害を持つ子ども達やその家庭=国民を守るためのものなのか?

そこが問題のような気がします。

このエントリーをはてなブックマークに追加

娘が4年生の時、学校の道徳の授業で、自分の心の中を出そうみたいな授業があったそうで、その授業で、「私はいじめられていました」みたいな告白をする人が結構いたそうです。

そう言っている子たちは、はたからみると、とても活発で、利発で、お喋り上手な子だったので、娘はすごくびっくりしたそうです。

でも私は、利発すぎて、敏感なんじゃないかな~と、思いました。
少しの事で傷つきやすいので、いじめられていると感じやすのかな?

娘は友達を家に連れてくるのが好きで、何人かの友達を知っていますが、とても大人っぽい対応をする子が多く、私の反応もよく見ていて、そこから相手の気持ちを読み取ったりしているんだな~というのが、私にもわかります。

我が家の娘は、そういった利発なタイプとはちと違うんですけど、相手の態度に過剰に反応したり、深読みしすぎたりする傾向があるようで、相手の気持ちにもとても敏感です。

この小学生の皆様の状態はなんだろう?



と、思っていたのですが、「ひといちばい敏感な子」という本にぶち当たりました。


ひといちばい敏感な子、この本の中では「Highly Sensitive Child」略してHSCと呼ばれていました。

■ひといちばい敏感な子「Highly Sensitive Child(HSC)」

HSCの特徴は、

細かい事に気づく
刺激を受けやすい
強い感情に揺さぶられる
他人の気持ちにとても敏感
石橋をたたき過ぎる
よくも悪くも注目されやすい


娘は、注目されやすいってのは、ちと違うと思うのですが、他はみんなあってる

でもこの項目、入る子多いと思うんですよね。

このHSCって、ADHDや発達障がいと誤診されたりしてるって書いてあったりしました。

え~?そりゃモンダイじゃん



チェックリストも23項目あるのですが、私もやってみたけど、私、5,6個くらいでした。
私は違う?
はたして娘はHSCなんでしょうか?

■娘の幼児期
小さい時は、ぼや~っとしてる子でした。

●言葉が少なかった


状況を理解するのが難しい子なのかな?
それを言葉で表すのが苦手な子なのかな?

とか思っていました。

私と旦那が大喧嘩した日、娘は3歳くらいだったと思うのですが、その時はぽや~と私たちを見ていたんです。でも大きくなって、ホントに最近になって、その時の様子を話してきました。その前まではまったく言ったことなかったのですが・・・。

覚えとったんかい!



なんで今頃?
その時娘はきっとびっくりしすぎてフリーズして、言葉で表現したり、泣いたりもできなかったのかな?刺激が強い場面とか、感情に訴えてしまう場面は娘には見せんとこ~。

●大きな音、強い音が嫌い。でも音楽やダンスが好き


娘は幼児期からダンスが好きでした。幼児教室のお勉強の時間はふらふらしてたけど、ダンスの時間だけ張り切ってた。

ヒップホップとか、ロック系のダンスは苦手。
低い感じの大きな音が出る音楽が苦手なようです。

旦那が趣味でバンド活動をしていて、ライブをしたりするのですが、ライブハウスが嫌いで、その場の空気感や音響ががとても苦手。怖いんだって。

雷とかも嫌いで、雷のどど~んと落ちたな・・・って感じの音に泣くトイレを流す音にもおびえてました。スーパーのトイレとかに行くと流す音の大きなところがあるので、流すたびに私がドキドキ。泣きださないかひやひやしてた。

音的には、クラッシック系の音楽とかj-popの曲とか、かわいい感じや清楚、荘厳な感じの音楽が大好きみたいです。

●光が苦手


光も苦手。
なので、朝がとても苦手。
眩しがることが多く、「おめめが痛い」とかよく言っていました。

幼児のくせに朝起きられない~。
幼稚園に間に合わないじゃん!!!ってのが一番大変でした。

小学1,2年生になると、言葉で言い表せるようになったからか、物や人が大きくなったり小さくなったり見えるというのも言っていました。

後で調べると「不思議のアリス症候群」というのがあるそうで、それなのかな~?なんて思っていましたが、病院には行かなかったので、その症状はほっといて現在に至ります。

今もたまにあるそうですが前より頻度が落ちたんだとか・・・。

●食べ物の味やにおい、形に敏感


食べ物や匂いにも敏感で、新しいものにも敏感、慎重です。
食べた事がない物の匂いを嗅ぐとかします。
家族の誰もそんなのやらないのに

好き嫌い、めちゃ多いです。苦いのが苦手なよう。野菜の苦み、えぐみがダメなので、野菜全般たいてい嫌いです。

形がいびつなのもダメ。色も彼女好みの色じゃないと、おいしそうに感じないみたいです。見た目が悪いと信用できないみたい。

●感情の出し方がちょっと違う。疑り深い。人を信用していない。


幼稚園では、「なぜそこで泣く」という場面で泣いたりして、
幼稚園の先生も友達もおろおろ・・・。

本人なりの理由があるとは思うのですが、
その理由を言葉で伝えることができないのか、
泣くばかりなので、
泣いている理由がわたしらさっぱり~?
ってのが何度もありました。

しかもワーワー泣くじゃなく、じわ~と泣く。
さめざめ泣く。
ちとうざいです(´-ω-`)

幼稚園で、面談があると、ぜったい私にすり寄ってきて、先生と私の会話を何気に聞いたりしていましたが、それは私に甘えているのではなく、自分の悪口言っているのでは?と、偵察に来ていたのです。

■小学校高学年になって
小3くらいまで、めちゃめんどくさいな~って感じの子でした。親の想いが伝わってしまってたからかな?でも、めんどくさいな~って思ってはいても、自分の子なので、小さく、小さく、関わるようにしていったら、4年生くらいで、ちょっと変わってきました。

自分がこう思っているって口にすることができるようになってきました。

小学校高学年になると、こういう風に言われると「傷つく」と言うことができるようになり、お互いになんで、こうじゃダメなのか?もっとこうこうした方がいいんじゃない?と言葉で言い合えるようになってきました。

幼児の頃は、親絶対!と思っていたみたいです。なので、うっぷん溜まってた?

でも、絶対って言ってないよ、私ら?


なんかそう思ってしまった。



のだそうです。

最近、そうだったことを話し合えるようになってきたのでよかったです。そして、めちゃくちゃおしゃべりになってきました。こっちから聞かないと学校の事教えてくれなかったんですが、今は、友達の事、先生の事、私はこう思った、こんな風にしたらダメだよね。なんてことも言ってます。私ら親にも文句言えるようにもなってきました。

無口な子から、なんでこうなったのかはわかりません。

でも、ずっとちょっとずつ寄り添った事と、スキンシップを喜んでいるのがわかったので、頭をなでたり、手をつないで歩いたりをずっとしてきました。そして話を丁寧に聞く。その積み重ねがよかったのかな、と思いました。

やってるつもりだったけど、丁寧に意識してやったら少しずつ、気持ちが溶けてきたって感じでした。幼児の時は、私の対応がきっと雑だったんですね。

ごめん!



■HSCは子どもの15~20パーセントに見られるらしいけど・・・
50年ほど前から、HSCの研究はあり、当時は「敏感」という言葉ではなく、引っ込み思案とか、内向的、怖がり、消極的なんて言葉で表現されていたとのこと。その言葉に当てはまる子なら、以前からもいたし、私もそういった言葉を言われたりしました。

でも、今の子たちはそういった言葉でくくれないほど、「敏感」な気がします。

そして、私は、そのへんのお母さんより、ちょいと年寄りですが、そのへんのお母さんも結構、敏感な感じがします。

単に私が人口の少ない県から、人口の多い県に出てきたから、かもしれないし、私がちとお年寄りだからそう感じるのかもしれませんが・・・。

その敏感な人たちを、「Highly Sensitive Person(人一倍敏感な人)」というのだそうです。

敏感なひとたちは、もしかしたら、これからどんどん多くなり、敏感があたりまえになっちゃったりするのかもしれません。


このエントリーをはてなブックマークに追加

うちの息子は、年に1回、市の療育センターみたいなところで、ダウン症の診察をやってもらっています。

ダウン症の診察ってなんやねん?



って話なのですが、我が家の息子は出産時、結構あちこちの病院をたらいまわしにされてしまいました。ダウン症児って生まれたら、合併症がないか診察するらしいのですが、それがなかった。

1年くらいは、検診があったのですが、体重測ったり、問診があったり、そんな感じ。心臓は生まれた当初から心雑音がしていたので、診てもらってたけど、小さな心雑音だからとエコー検査もなく、9ヶ月の時、やっとエコー検査。その時、「心臓に穴空いてる~」って先生が慌てふためいて別病院を紹介。そこから手術の流れになりました。
↓こちらに心臓の手術について書いた記事あります。


目や耳にも合併症が起こりやすいのに、全部、自分で病院探してみてもらいました。

バラバラの病院で診察しているので、ダウン症であるという証明がされにくく、いろんな手続きにダウン症ですって医師の診断書が必要なので、市の障がい者福祉施設併設の診療所でダウン症ですって診断をもらっています。

その流れで、年1回診察があります。

診察の内容は・・・

「今、どんな感じですか~?」
「困っていることはないですか~?」
「どの程度発達したかな~?」
「大変なことはないですか~?」


みたいな感じの事を聞かれます。
そして、息子の成長の様子を先生は眺めたり、時に質問したりして、反応をみています。

息子はしゃべれないのですが、先生とのコミュニケーション結構好きみたいで、この診察は楽しみにしています。



■ダウン症児の療育


息子の「ダウン症」がわかってから、何からやればいいのかわかりませんでした。出産した病院の紹介状をもって行った病院では、ダウン症児に行っている「赤ちゃん体操教室」というのに参加してみるか聞かれたので、そこに行くことにしました。

それが息子の療育の始まりです。

↓この本を書かれた先生と、そのスタッフの人たちが体操を教えてくれる教室でした。


その後、市の療育センターへ移りました。赤ちゃん体操教室は「赤ちゃん」対象なので、赤ちゃんじゃなくなっていくと肩身がせまくなる~。みんな歩けるようになっていくのに息子は歩くという方向じゃなく、転がるという方向で移動してて、これでいいのかな?という焦りもありました。

市の療育センターでは「診察」「理化学療法」「言語療法」の3点セットで行われていて、1歳からそこで3点セットの療育を開始しました。

市の療育センターには、STやOT、PTの先生がいて、予約して診てもらうのですが、歩けるようにもっていく、言葉をしゃべれるようにもっていく、生活を営めるようにする、みたいなのが目標なのですが、息子の歩みは遅く、小学校に入る前までに、なんとか終わったのは「歩く」のみでした。

小学校上がるという段階で、いったんセンター利用は終わりという運びになりました。

次から次へと療育が必要な子が入ってくるので、多分施設のキャパ満杯みたい。もう大きくなったからいいでしょ、的にやんわり言われてしまいました。



診察のみが現在も続いていて、1年に1回です。でも、発達検査はもうありません。小学校低学年の頃は半年に1回くらいあったのですが、高学年になると発達検査もなくなった~。

小学校へ入ってからは、小学校で療育を行うという感じで、他にはどこにも行っていません。



■療育で行き詰っている事

我が家で、一貫して困っていることは、息子がなかなかしゃべれるようにならない事です。

息子は、言っていることは簡単なことなら、だいたいわかるのですが、それに対してしゃべっている言葉が「日本語」じゃない~

というより、「地球で発信されている、どの言葉にも該当しない言葉」を使っています。

言葉としてはわからないけど、ジェスチャーや空気でお互い通じるので、死ぬほど困ってるって感じじゃないけど、

もうちょっと言葉でわかり合うおうよ~


って感じなのです。

診察でもドクターが、

「今度は何年生になるの?」
「学校は楽しいですか?」


と、聞いてきましたが、

「○▲■×#$%&!*+」とか言ってて、何かは言ってるんです。でも何を言っているのかな?言葉は喃語みたいな感じです。

たまに「で」とか「よ」とか「ね~」など、言葉の末端でよく使う音がわかるので、多分意味のある言葉を使っているように思います。なので、喃語かといえばそうじゃない気がします。

先生と私、二人で困惑
二人の心の声「ごめん、一生懸命しゃべってくれているけど、それわかんないわ~

ドクターの問いに対して、しゃべっている時間が長いことから、言いたい事はいっぱいあるんだろうなぁ~って思うのですが、

言っている言葉が地球の言葉ではないので、
こっちもわかってあげられなくて本当に辛いのです(;_;)

■言葉へのアプローチ

ダウン症や発達の子たちのコミュニケーションツールに、「マカトン」「手話」「絵カード」などがあるのですが、

「マカトン」「手話」はお互いが覚えなければ、使えなくて、息子にとってはあんまり興味のある方法じゃなかったんですよね。

「絵カード」は、指し示すことで、通じるんですけど、息子の場合ちゃんと声は出てるので、それを使うのもなんだかな~って感じなのです。

そして、名詞なら絵カードにしやすいですが、動詞って案外絵カードで読み取るの難しくて、絵で伝えやすい物は「絵カード」で、行動を起こしてほしい時は「手話」でやってきました。

それでも、思うような言葉の進歩がないので、今は、「文字」も取り入れ始めました。

息子が使っている言葉を聞いて思うのですが、言葉の音が分かれて聞こえていないんじゃないかと思うのです。

言葉が、50の音で組み合わされているという事が、聞いてわからないのではないかと・・・。
だから息子が使う言葉は、「ほにゃらら~ほにゃらら~」という長い音の言葉になるのかなぁ~なんて私は思っているのですが・・・

でも、実際のところ、どういった原因かははっきりわかっていません。

ではなかろうかという私と、病院の先生の推測の域の話です。

それでも、伝えたい事が身体の中に山盛りある息子なので、なんとか言葉を伸ばしてあげたくて、とりあえずなんでもやってみよう、みたいな感じで、50音を教えることにしました。

しか~し、息子にそれが意味あることだと教えるのが大変で~、今、息子と格闘中です。英単語を覚えるように「書く」「発音」をセットに頑張ってます。

↓△もまともにかけなくて、○も歪んでる~というような状況
(空欄のところに△○を書くというものです。)


やっとなんとか「た」と書けるようになり、「た」ときれいな発音ができるように~。

あと49音か~、
つ~が、意識的に自分で使えるようにならないと、
これまた言葉につながらないんだけどね~(´-ω-`)

来年の診察時には、
もう少し、先生とお話できるようになっているといいな・・・(*´ω`*)

このエントリーをはてなブックマークに追加

放課後等デイサービスを利用するにあたって、昨年から障害児支援利用計画を作成をするように・・・と、市からお達しがあって、昨年やっと作成が終わりました。

数年前から、「作るように・・・」とのプリントはもらっていたのですが、なにぶんそういった計画案を作ってくれるところが少なかったので、話が進まず、我が家では2歳からお世話になっている福祉施設にお願いしていたのですが、これまた順番が回ってこず、ぎりぎりのタイミングでの作成となりました。



■「障害児支援利用計画」とは?



児童福祉法の一部改正により、放課後等デイサービスを利用するなら作らなきゃならないもの・・・だそうです。

指定障害児相談支援事業者が、サービス等の利用を希望する障害児の総合的な援助方針や解決すべき課題を踏まえ、最も適切なサービスの組み合わせについて検討し、作成するもので、サービス利用者を支援するための総合的な支援計画です。

私たちの応援団を作るという感じ・・・と、市の人に私は説明を受けましたが・・・

■障害児支援利用計画の作成は、こんな感じで始まった

まず、
委託して作るか?
自分で作るか?の選択です。

自分で作るという方法もあるようですが、わかってない私では作るのも心もとないので、お世話になった福祉施設が作成業務も行っていたので、お願いすることにしました。お願いする場合、作成許可された事業所というのがあるようです。

作成業務は、デイサービスなどでもやっているところがあるようでした。

作成にあたっての説明会というものがあって、参加しました。
説明がひととおり終わると、契約書が配られ、

「作成してよろしいですね?」

と、念押し?

ちょっぴりねずみ講的感じもしましたが、他にどうしようもなかったので、契約書にサインし、障害児支援利用計画の作成の日を待ちました。

しか~し、それに参加してからも、1年くらいはほったらかされていました。やっと順番が回ってきた時は1年過ぎていました。

話を聞くと、対応する人と申し込まれた人数が合っていなくて、まだまだ順番待ちの人がいるのだそう。

利用計画を作らなきゃならないと定めた人は、こんな風に大変になるってわかって指導したのかなぁ・・・。みんなあっぷあっぷになってるよ・・・

■これが障害児支援利用計画か?

作らなきゃならないの説明会から、1年後、やっと始まった計画の作成とやらは、会議から始まりました。

出席者は、私と、デイサービスの人と、計画作成をお願いしている福祉施設と、学校の先生との、4者会談でした。

話の内容は、

息子の日ごろの様子、
家庭ではどうか、
学校ではどうか、
デイでは?

4者から出る、話の内容を、
計画を作る担当の方がパソコンに入力しておられました。

そして、

「今の状況からどのようにもっていったらうちの息子の成長につながるか?」

とかの具体的な内容など話をしました。

私たち家族の想いや息子はどのように自分が成長したいのか?

=支援計画

という事なのだそうですが、

う~む、1年待ったけど、それぞれの人の話をまとめたプリント1枚だけ作成して終了~。

これを作るための1年?


とか思ってしまいました。

■障がい児の様子は、日々連絡帳で、伝えあう

息子の日ごろの様子のことは、私、学校、デイの間では毎日連絡帳で行われており、連絡帳では足りないといった時は、私が出向いて伝えたりしていて、結構ツ~ツ~の間柄なので、わかりあっている事なのです。

多分、障がい児をお持ちのご家庭では、どこもそうじゃないかと思うのですが・・・。

体温、体調、
昨日こんな事があったよ、
あんな事ができるようになったよ、
今日は機嫌が悪いよ、

など、

自分の口で言うことができないので、連絡帳で連絡しあうしか方法がないのです。

家、学校、デイサービス3つが同じ方向を向いて、息子に接しなければ、息子も納得しないので、お互いは意識しています。あちこちで言うことが違うと、子どもが混乱してしまいます。これは普通の子も同じことだと思います。

息子が今直面している問題を、どうやって突破するかも、お互いが考えていて、それに向けての細かな策も常に意識しあっているという関係です。

そこに急に支援計画を作るためだけに、「計画」作成事業所が参入?

いいですけど、聞くだけ聞いて、でもそこに、策はもってない~みたいな~?

この計画、なぜ作らなければならないか?

市のプリントでは、

「障がい者の困りごとを一緒に考えるしくみであり、本人の夢や希望をかなえる手伝いをするしくみ」

とのことなのですが~

息子をデイサービスに通わせたくて、申し込んだ小学1年生になる春。市役所のそういったことを担当する課の人に、

放課後等デイサービスを利用したいなんて・・・。税金なのよ・・・。
申請したからといって、そんなに簡単に利用できるとは思わないでね・・・。まだ、1年生じゃない、お母さんが面倒みたらいいじゃない。いままでのお母さんたちは苦労して自分の家で育てていたのよ!


みたいなことを言われたことがあります。

小学校のクラスには7人しかいないし、自分で友達を作りに行くこともできない。このままじゃ、人間関係が薄くなって、経験する機会も減ってしまいます。



と、言ってはみたけど、

嫌な気分になって役所から帰ってきました。

どうも担当の方が悪かったようなのですが、でも、

あ、の、こ、と、は、忘れない~~~~~(-_-)

と、市役所に不信感まだ持っています。こんな感じに障がいに対して税金使いたくないみたいな認識もってる人いるのに、「応援」されてるとは思えない。

■なんのための、障害児支援利用計画?

放課後等デイサービス使用のために嫌な思いしたけど、人に間に入ってもらって使える事になった・・・
という経緯があるので、

今更、手のひら返すように

「一緒に考えてあげるから~」

と言われてもなんだか・・・
なんですけど~

放課後デイというしくみが始まったばかりだったので、このようなことがあったのかもしれませんが、そういったことに出くわしたからか、

お金のマネジメントをやりやすくするための・・・ではないの?

と勘ぐってしまう私がいます。

もちろんそれは大事なことだけどさ。

きちんと形になるのかな~?
話を聞くだけ聞いて、まったく機能しないとかってんじゃないでしょうね?
というのが今の率直な気持ち。

この計画は、半年ごとの見直しがあり、と聞いていたのですが、

その半年後の見直しは、半年ではこず、8カ月でようやく我が家に回ってきました。
今度は見直しには家庭訪問がついており、支援計画をつくる契約をした園の人が我が家にやってきました。

その時も、今の息子の様子を聞くというもので、事前に電話で、学校やデイサービスでも息子の様子を聞いて、計画作成のためのプリントに記入してあって、会議という形にはならず、私とだけの面談形式でした。

こちらから相談をしても、
それはどこどこに聞いてみたら~となるし。

ホントに策もってなかったです。
まあ、そういった相談の実力行使のところではないから仕方ないけどさ~。

だまって世間話をするように、息子の情報を提供していればいいのだろうけど、
なんだかもあぁ~としてしまう私。

昔の制度と比べれば、ずいぶんと進化しているんだから、さらに進化する前の過程・・・とかなんとか自分に言い聞かせ、今、折り合いをつけているところです



このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ