私が最初にお葬式に出席したのは、祖母の葬式でした。
祖母の葬式は、私が小学生の低学年の時、時代は昭和。

田舎だったからか、はたまた金銭的な関係だったのかはわからないのですが、自宅に棺桶が来ていて、その中に祖母は眠っていて、みんな棺桶を覗いてお別れをしていました。

祖母の家はそんなに広くないのですが、棺桶の周りには多くの人が集まっていて、お坊さんとかも来たりして、すし詰め状態で、台所にまで人がわんさと流れていました。でも、会食も何もかもが祖母の自宅で行っていて、お葬式はそういうもんなんだろうと思っていました。

それからしばらく、お葬式に縁がなかったのですが、次に行ったのは、叔母のお葬式で、時代は平成。

叔母のお葬式になると、がらりと変わっていて、葬式をするのに、ホールで行うのを知りました。食事に行くのもバス貸し切りで行ったりして、

ひと通りやってくれる会社がある?すげ~。

葬式に縁がないうちに、ずいぶんと進化していて、私の葬式概念が明治大正昭和初期で止まっているのに気づいたのがおばはんになってからって・・・運がいいのか悪いのか~トホホ

■叔父のお葬式、初めての葬儀場での宿泊

叔母の次は叔父が亡くなって、最近になって、どんどんと親族とのお別れがやってきています。

これが高齢化社会?(;゚Д゚)
どどどど~~~と、お葬式が波の押し寄せ来る~
次もたくさん控えてる

叔父のお葬式は叔母とは違っていました。
親せきが地方に散らばっていたためか、宿泊できるホールにて、お通夜、お葬式が行われました。

私はお通夜への参列はできず、お通夜の後駆けつけたという感じになりました。お通を行った葬儀会館の中の、みんながくつろいでいる部屋へ行くと、そこには、簡易台所や、テレビやソファーなどがある洋風なところと、畳でみながくつろげる2間続きの大部屋がある、広々とした空間がありました。

宿泊施設が併設されているタイプの葬儀場は初めてです。

こんな葬儀もあるのか・・・

宿泊しているのは、仲が良い親せきの人ばかりだったからか、始終なごやかムードで、葬儀だけど、いつもの親せきの集まりって感じでした。

ひとつ違うのは、葬儀屋さんが、葬儀の進行の準備や円滑に葬儀完了までに必要であろうことを、ちょいちょい聞きにくることです。

「お金の管理を担当してくれる人を決めてください。そしてそれは誰か教えてください。」
「葬儀が終わったら、火葬場へ行くのに車で行くのですが、その車に乗るのは誰ですか?」
「火葬場へ行くためにタクシーは必要ですか?」
「部屋の鍵担当の人を決めて、その人を教えてください。」

私ら和やかに休ませてもらてるけど、葬儀屋さん、段取り大変だなぁ~。



宿泊部屋を出ると、目の前が葬儀会場になっていて、もう祭壇が出来上がっていて、祭壇の前の棺桶の中に叔父が、物言わず眠っていました。明日の葬儀までしか、この肉体は見られないんだな・・・。

部屋ではみんなで食事をしたりしていました。

お葬式にみんなで集まったり、会食したりするのって、お弔いと弔問客へのお礼の意味があるようですが、
葬儀後の会食について( ..)φメモメモ
・会食の目的ー遺族、親族などが、最後の会席の場を共にして、供養する。
・葬儀の会食ー通夜振る舞い・・・通夜の後の食事会。精進落とし・・・火葬が終わった後の宴席。
・本来は、遺族は49日間の忌中、肉、魚などを食べないで過ごし、それが明けて食べられる最初の食事が「精進落とし」というそうですが、最近ではそのような風習がなくなり、会食の形も様々みたい。
・法要の後、施主が参列者を招待して会食する場を「お斎(おとき)」という。
葬儀にまつわる会食って、いつもいる故人がそこに「いない」というのに気づく場?存在の大切さに「気づく」という意味もあるのかな?とかも思いました。

食後は、親せきと談笑しつつ、夜も更けて、部屋に布団を敷き詰めて、親せきの人たちと一緒に寝ました。

■お葬式の日はスケジュール満載

次の日、お葬式は13時から。

朝から、昼までなにするんやろ~と思っていたら、その日は昼ご飯も食べられないくらい忙しい日なんだと、その一日が終わるまでまったく知りませんでした。

朝、結構早く起きて、朝食会場へ。朝食チケットをみんなもらっていて、まるでどっかのホテルでの宿泊みたいに、バイキング形式の朝食でした。

私の親せき、高齢の人多いけど、私たちより朝ごはんよく食べてる。
これならまだあの世への寄せる波のスピードもゆっくりかな?

9時くらいに打ち合わせ。
本日の予定は、葬式➡火葬場➡お寺へ行くor自宅で祭壇作りという流れ。
流れの中の細かな確認を葬儀やさんと遺族、親族代表が詰めます。

「部屋の鍵担当者は?」
「お金担当者は?」
「受付は?」
「火葬場ではしばらく待たないといけないので、少しお菓子とビールを用意しています。そのお菓子類を持って行ってくださる担当の方は?」

➡担当者を決めていないと、盗難にあったり、部屋を荒らされたり、忘れ物をしたりするのだそう。親族の場って誰かがしてくれるって思ったりするので、しっかり決めておくのがいいそうです。

「火葬場への霊柩車の後につづく車には誰々乗るのか?」
「その後につづくタクシーには誰々が乗るのか?」

➡式が終わって、火葬場まで速やかに流れて行くために、あらかじめ決めておかないと、親族間の「遠慮」とかが入って、もたついちゃうのだそうです。

式の中で故人とのお別れの際、故人の好きだった物を御棺の中に入れたりするのだそう。葬儀屋さんは「お酒」を用意してくれて、「これを最後に御棺を閉める前に口に含ませる(実際はガーゼなどでお酒をしめらせて口元に流すかんじ)というのはどうでしょう?」という提案を葬儀屋さんがしてくれて、故人が好きだったものを理解して、そういったのを考えてくれるのはすごいと思いました。

その提案をうけて、たばこも好きだったので、急遽、故人の好きだったたばこを購入しに誰かが走ることに・・・。

そういった細かな事にも気を配ってくれる葬儀屋さんと、葬儀を出す側の一致団結、エンターテイメントショー、それが「葬儀」なんだな~と、葬儀が始まってからそう感じました。

↓あとでこのマンガを読んで、「まさしく!」私の「感じ」は間違いなかったと思いました(^_^;)

■叔父のお葬式

午前中に、葬儀屋さんからの指導&提案を頭に入れた遺族・親族の団体は、部屋の戸締り、金庫の戸締り、部屋の荷物がきちんと各々整理されているかなどを確認。台所や洗面所、お風呂などに忘れものがないかチェック。部屋のゴミの片づけ、部屋に備え付けられたコップや湯のみを洗って片づけ、受付の準備などを行いました。

うちの親族、高齢が多いので、比較的若い世代が自然と、そういったことをやっていました。
私ら子どもの頃、こういった場では、大人にお任せって感じで何も考えてなかった。でも、社会に出た大人になると、自然と自分で自分の役割を見つけ、できるようになるんだな~と実感しました。で、昔は若い大人だった叔母達はお年寄りになり、ずっと親せき間の噂話をしていました。

若い時は叔母さん達率先して動いてたんだけど、年取ると動かなくなるんやな。世代交代とはこういうことか・・・。

その後、宿泊部屋から葬儀会場へ。

葬儀が始まる前、参列者が受付を通り、次々と葬儀の場の席に座っていきます。祭壇には故人の写真と、まわりには花がいっぱいです。その前に御棺が置いてあり、祭壇がライトアップされているか、透明なお顔がさらに明るく透明でした。御棺の中の叔父は、旅立ちにふさわしい姿でした。

闘病に闘病を重ね、最後まで頑張った人だったからか、御遺体をそうたくさん見たわけではないからなんともいえないけど、すごくきれいで、凛としていました。私も旅立つ時はこんな姿で行きたいな~と思いました。
花祭壇について( ..)φメモメモ
以前は白木祭壇が主流だったそうですが、近年、花で飾られた花祭壇が増えているそう。



時間になり、お葬式の始まりです。参列者はみんな祭壇を前にして椅子に座っています。

式進行は
叔父の娘がお別れの言葉➡3人のお坊さんが入場してきて、その中の2人はお付きのお坊さんと言った感じで、3人でお経を読んでくれました。➡そして、お経の中、お焼香開始。

読んだ本によると、仏となる人にとって、お経はとてもうれしいものなんだそうです。
お経についてφ(..)メモメモ
お経には、成仏のための手助けをするすごい力があるのだそうです。↓の本に書かれていました。法要の大切さも書かれていました。法要でのお経がとても仏様をサポートする力になるのだとか・・・。
信じるか信じないかはあなた次第ですが・・・(^-^;



打ち合わせ通り、故人が好きだったお酒を口にふくませたり、たばこを御棺の中に入れたり。
そして御棺の中を祭壇に飾れていた花を入れてあげて、折鶴も用意されていて、それもいっぱい入れてあげました。

■火葬場へ

そうしてお葬式は終わり、みんな火葬場へ移動。火葬場への移動もあらかじめ決められていたので、スムーズでした。火葬場へ行く人、行かない人の霊柩車を見送る場所も決められていて、ちゃんとアナウンスがあり、それもスムーズな進行へ一役かっていました。

13時からの葬式から火葬場へ、移動やなんかで、15時くらいに到着。火葬時間は1時間くらい。

その間、待合所で、お菓子を食べたりしたのですが、午前中、打ち合わせや、宿泊のための部屋の片づけなどをしていたから、昼食抜きになっちゃってて、お菓子をみんなでがっついてました。
少しでも昼食をとっておくべきだった~(>_<)と、親戚中で後悔

16時頃、火葬が終わり、お骨を拾って骨壺へ入れる収骨(拾骨)をしました。その後、事件勃発。

お葬式から、火葬場までの流れは葬儀屋さんが決めてくれて助かったのですが、その後、お寺までの足を考えるのが大変でした。

誰が誰の車に乗るの?
お寺はどこ?
アクセスは?


この辺の詰めが甘かった~。
親せき間ってなぁなぁになっちゃうんだよね~

火葬場って結構人里離れたところにあるので、そこからお寺へのアクセスもちゃんと決めておかないとダメだな・・・と学びました。今の葬式は、一日のうちにあれもこれも詰め込んでしまうので、移動手段が決まってないとスムーズに事が運ばない・・・(>_<)

軽く揉めたあと、とりあえずなんとか、各々車で移動。
祭壇作りのために故人宅へ行く人、お寺へ行く人・・・

■繰り上げ初七日法要

初七日を火葬の後行うのを繰り上げ初七日というのだそうです。
法要について( ..)φメモメモ
・初七日
亡くなってから七日目に行う初の法要。
・忙しい現代では、一週間後に親族が集まるのが難しい事から、火葬後に初七日を行う繰り上げ初七日が一般的になってきたそう。
・その他、火葬の後ではなく、告別式の読経の後に初七日の読経を続けて僧侶に読んでもらうというパターンの繰り上げ初七日もあるそうです。

お寺では、お坊さんが、椅子を部屋にセッティングしてくれていて、若干遅く着いてしまった私たちを待っていました。・・・つくづく移動手配は大事だわ~(._.)

読経開始・・・

滞りなく終わって、解散か?
と思ったら、次の法要のスケジュール確認のため別室へ移動・・・。
49日はいつ?
お墓はどこ?

などのお坊さんと遺族、親族の話し合い。

お葬式は、たくさんの人がかかわるから、スケジュールや時間の管理がすごく大事。
で、スケジュールこなし、時間に追われる日なんだと学びました~(;´Д`)

■お寺から故人宅へ

お寺での法要も終わり、次は49日だね・・・と、親せきとの再会の約束を取り付け、やっとお葬式が終わった~

そこで親せきのほとんどが帰っていったのですが、私は故人宅へ。

故人の家の仏壇の間では、仏壇の前にいろんなお供え物が置かれていました。それは後飾り、または中陰壇と言うそうです。
後飾り、中陰壇(ちゅういんだん)について( ..)φメモメモ
・四十九日までの期間を「中陰」と呼ぶそう。故人が成仏するまでの間、中陰壇を設けて供養します。 中陰壇は、故人の冥福を祈る場であるとともに、葬式に参列できなかった人が弔問したときに、お参りしていただくための場。
・祭壇の作り方
3段仕立ての場合、一般的に上段、左から遺影、位牌、遺骨を飾ります。中段には、仏飯や茶湯、お供え物、下段には左から一輪挿し、香炉、リン、燭台、線香立てを並べます。

仏壇から張り出した祭壇が部屋をめちゃくちゃ狭くしていて、人がいるスペースが少なくなってました。

狭い家での葬儀は大変・・・。
今や家で葬儀は無理なんだ。葬儀会場はいるね!

■私たちの葬儀~自分達の葬儀はどうしよう?

今回の葬儀で、母は、父の葬儀を真剣に考え初めています。遠方からの客をもてなしたり宿泊準備をしたり、今回の葬儀いくらかかってるの~(>_<)

私もまずお金のことを考えました。
母もそうみたい。
で、互助会に入ろう・・・みたいなことを話しています。
互助会について( ..)φメモメモ
・冠婚葬祭に備えて一定の積み立てを行う一種の会員制のサービス
・いろんな団体・企業で互助会システムがあるそうですが、一概にメリットばかりではなく、デメリットもありそうなので、詳しく調べることが大事みたい。

母にも自分の葬儀の希望があるようで、土葬がいいとかも言ってました。いまどき土葬なんてあるのか?と思ったのですが、できないこともないらしい・・・
土葬についてφ(..)メモメモ
・市町村長の許可を得れば土葬も法律上はOK
・墓地管理者が許可してくれなかった、という理由で自宅の庭に故人を土葬すれば、墓地、埋葬等に関する法律へ違反。
・土葬できるところは決まっている。北海道、宮城県、茨城県、栃木県、山梨県、岐阜県、鳥取県、高知県等の一部の地域と、離島等で土葬が風習として残っている地域。


旦那は海に散骨とか言ってます。

は?骨砕くの大変そうじゃん。焼いても残ってしまうんだよ?大柄な人は結構骨大きいみたいだし・・・。私、粉骨作業したくない!業者に任せるよ!

海洋散骨についてφ(..)メモメモ
・海洋散骨は、遺骨粉砕しパウダー状にしてから行うことが前提で、周りの人の迷惑にならない場所で行うのがマナー。
・海洋散骨プランも結構費用かかる。
葬式についてそれぞれ希望がある事を知ったのでした。

しか~し、

叔父のお葬式も、危篤➡亡くなる➡葬式➡墓までの手順を踏むのがどんだけ大変か、いろんな人の手を経てようやく墓までたどり着くんだ~と学んだんで、私はシンプルでいいと思いました。