ダウン症児とHSP娘との暮らしのブログ

HSPだと思われる娘とダウン症児の息子と暮らしています。多くの気づきを得られる刺激的な毎日なので、忘れちゃもったいないな・・・と思って綴っているのですが、年々綴るのが遅くなっています。子どもらが育つということは親が年を取るということ。指が動かん・・・。

障がい児

障がい児の進路について、就職と進学について学んだのですが、就職も進学も難しい場合、生活を支援してもらって生きていく、という方向があると講演会で学んできました。

講演会での学び、下記にもあります。






我が家の近所の地区では、この、支援してもらって生きていく、を選択をする方々が一番多いのだとか。

息子の学校、重度知的障害児多いもんね・・・。

障がいの度合いが軽い場合は働けるかもしれませんが、

重度は働く意味もわかってないし、お金を稼ぐ意味もわかってなかったり、体が思うように動かなかったり、気分を自分でコントロールできなかったり・・・そんな中で働くってすごく難しい。

息子も重度なので、進学は難しく、就職はできるか心配です。今回、講演でいろいろ聞けて良かったです。


生活を支援するという方向の進路では、事業所が展開する生活介護施設と自治体主導の福祉施設の2つの様式の施設があるようです。

近年、生活介護の施設は定員いっぱいになってきてるのだとか。新しい福祉施設ができても、すぐいっぱいになって、そして医療の発達から長生きの人が増えてきているので、空いていくことが少なくなっているという話でした。

息子の学校も、入学当時より、ずいぶんと人数が増えてきました。息子のクラス、ほとんど発達障害。ダウン症めちゃ少ないです。

発達検査するから増えているって人もいるけど、息子が生まれてからずっと障害の世界見ているけど、検査だけのせいじゃないように思います。

生活の介護をうけて、生きていくしかないような子、多くなってきてるのは、何か原因あるのかな?とか思ってしまいます。

それでも私たち、一生懸命、寄り添い合って生きていくしかないけどさ・・・。


生活支援系の進路その1生活介護

生活介護事業所での生活は、放課後等デイサービスでの長期休暇中の生活様式に似ているようなお話でした。

もしも私が選ぶなら、

送迎あるところがいいかな。
就職を選ぶなら、送迎があるところは少ないようでした。
生活介護は、送迎してもらえるところあるよう。障がい児、その場所に行くだけで大変。私が高齢になった時、連れていけるか心配です。

今でも、私が病気になったら、学校行くのが難しい。バス停まで自分で移動できないもん。

日中の活動は、プログラムがあるようで、事業所により違うみたいでした。参加できそうにないプログラムだと困るかも・・・。

お昼ご飯の有無も調べておかなきゃ。毎日のことなので、食事の提供あった方が助かります。

就職ならどんな仕事内容かを調べるように、生活介護では、日中の生活がどんな風か、事業所ごとに違うようなので、調べておくのは重要かなと思いました。

ただ、生活介護を利用するには条件があり、障害区分が3以上じゃないと利用できないそう。市町村で定期的に認定してもらう必要があるのだとか。

放課後等デイサービス利用の時と同じ感じかな?


生活支援系の進路その2 地域活動支援センター

もうひとつの生活支援の形は、地域活動支援センターへ通うという進路。

地域で暮らす障がい(身体・精神・知的)を抱えている方の、日常生活や社会生活をサポートする支援機関で、法律に基づいて、市町村に設置しなければならないと決まっているそうです。

我が家の近所の地域活動支援センターは、不登校の方や精神障がいを持つ方の利用が多く、息子の学校からここ3年ほどこのセンターを進路先に選んだ人はいないらしい。

どんな人が利用しているかも大事だよね。輪にはいれそうもなかったらえらいこっちゃだよ~。地域によるのかもしれませんが、重度の障がい児が選ぶ進路じゃなくなってきてるところなのかな~?


高1だけど、のんきに構えてる場合じゃない!ってのがよくわかりました。

障がい児の進路、選択肢あんまりない。人数的にも入り込む隙間が少ない。みたいな中、縁ある将来を引き寄せられるといいけどなぁ・・・。

2023年は、動きださなきゃ・・・!!


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小学校からずっと、学校を早退して病院に行くという事を度々しています。

我が家のダウン症児、身体の調子が低空飛行です。はたから見ると、健康そうに見えると思うのですが、幼児期から小学生くらいまで、発熱頻繁でした。

ウイルスや細菌に弱いのだと思うのですが、溶連菌やなんだかわからない病気が多く、その病気の後に鼻水が出るので、耳鼻科通いになってしまいます。

鼻をかむのが難しく、しょっちゅう中耳炎になってしまって、今は慢性化して何年も耳鼻科通い。ちょっと大きめ病院の中の耳鼻科に通っているので、外来診察時間が短いです。

なので、学校早退して病院へ行くということになってしまうのです



先日は、通院のため、学校へ午後いちで迎えに行くと先生に連絡していました。

それなのに、午前中、急に市役所から呼び出しがかかって、役所の件が片付いた~と、ほっと一息ついたら、迎えに行くのを忘れてしまって、家に先生から「今日通院だったのでは?」と電話がかかってきました。

そうでした~。すっかり忘れてた~。


ころっと忘れていた自分が怖い。もともとそう緻密な性格じゃなかったけど、年々、ぽんっと抜けたりすることが多くなってきました。

息子と一緒に歩く時も、私より息子が早く歩けたりして、

待って~。ゆっくり行こうよ~。

と、私が言わなくてはならなくなってきました。

息子の成長は喜ばしいけど、私の成長は喜べん!私の成長は老化だも~ん。

障がい児を育てる上で、一番必要なのは、体力と記憶力?

障がい児を育てている先輩たちが、福祉施設まで、お迎えに行ってたりするのを見かけたりするのですが、その先輩方は、身体が曲がっていたり、杖をついていたり・・・。障がいを持っている息子や娘はピンピンしてるのですが、子ども達は、まっすぐ歩くのが難しかったり、車や人などにぶつからないように気をつけないといけない子達なので、手つなぎ大事。ちょっと歩くだけでも気を抜けない~。

自分の身体がしゃんとしてないと、手つなぎしても共倒れになっちゃう

私、その方向に向かってる~?
確実にその日は近づいていると感じます。
いつまで頑張れるのかな~と思いつつ、「ダウン症治る」もちょっと期待している私です。


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ダウン症の息子は今年高校1年生になりました。

ようやく、慣れてきたかな?と思って一息ついたところだったのですが、進路説明会でず~んと落ち込んでしまいました。

上の学校をねらえる子もいるかとは思いますが、重度の息子にそれは無理。進路は就職か福祉施設しかありません。

説明会では、「就職は現状厳しいですので、今から情報をリサーチし、お子様のスキルと照らし合わせて、自分で探してください」というものでした。

学校というぬるい場所から、北風ぴゅーぴゅーの場所に放り出されるんだ・・・

障がい児の進路は主に3つと聞きました。
  • 就職
  • 進学
  • 福祉施設
shinro
■就職について
就職は、普通の就職とA型とB型があるそうです。

ハードルが高いのは一般企業、就労支援A型への進路。
普通の企業と雇用関係を結んだり、A型の事業所に入って働くというものらしいです。企業の仕事をするので、それなりに給料もらえるそう。その分、企業が求める一定の水準の仕事ができる事が求められているみたいでした。

それとは別の就職形態がB型。
一般が無理の人向けの就労形態で、企業の中のほんの一部の仕事を請け負ってる施設の元で働くという形態のようでした。100均の品物の袋詰めとか、福祉施設でパン作ったり、喫茶店手伝ったり、といった感じで、仕事内容が多様らしいです。ほんの小さな一部の仕事をもらって働くといった感じのようでした。

■進学について

進学先は、普通の大学に行ける子もいるのでしょうが、就職訓練校に行くという事を紹介していました。

息子が通っている学校は、支援学校ですので、中度、重度の障がいを持つ子が多いです。テレビなどでこれができる、あれができると紹介されている子はほんの、ほんの一部の子です。

普通の大学に入った~
普通の就職して働けます!

などという子は、息子の学校にはほとんどいません。(ほとんどというより、いないんじゃないかな・・・)昨年なんか、就職、就労支援A型へ行った子、0人だったもんね。

世の中、障がい舐めて見てる。
メディアの、切り取ったきれいな部分しか世にでないからわからないよね。



■福祉施設について
じっとできない子も支援学校にはとても多いです。多動だったり、奇声を発しないと気が済まない子がいたり、人が言う通り、望む通りにどうしても出来ない子。

そんな子も絵を描いたり、自分の望む事で評価されているのを紹介しているメディアもあるけど、これまた、ほんの、ほんの一握り。

多動を薬で押さえないといけなかったり、時には体を張って、行動を制限しないといけないこともある子達に、働くは難しいので、できる事を教えてくれたり、余暇活動をさせてくれる施設へ行くという進路がありました。

説明では、ここの希望が一番多いらしく、それだけ、生活面で苦労している子がいっぱいいるという事です。

息子が通う支援学校はB型か福祉施設への進路が大半でした。

中度と重度の障がい児に働けってのがどだい無理な気がする・・・。


そういう風に考えると、障がい児の生存に疑問?とか思われるかもですが、障がい児の存在って働けるとか、これができるとかあれができるとかが価値なのではなく、

むしろ、これができない、あれができないというところに価値がある、と、私は考えています。

障がい児がもっている障がいは、私たちの中に障がいのかけらがあると私は考えています。そのかけらを大量に持って生まれてきたのが障がい児?

障がいを持つ息子と過ごしながら、障がいが持つ困りごとの中で、普通の人でもその困りごとのかけら持っているよね、っていうのいっぱいある気がします。そのかけらが小さいのでなんとかなっているだけ。

そのかけら(問題)を解読してくれ!


というミッションなんじゃないかと私は思ってます。

障がいをもつ人たちが、障がいを気にしないで、なんとかカバーできる仕組みや、身体的に障がいを取り除くことができるとか、そんな方法を見つけるために障がいを持つ人がこの世の中にいるんじゃ?

と、私は考えています。

早く、存在価値などを気にしなくて、みんなで手を取り合って暮らせる世の中になるといいな。

そう考えるのは夢なのでしょうか・・・。


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我が家にダウン症児がやってきた日のお話です。
私は妊娠しやすいタイプじゃなく、長女が生まれた時、

神様、ひとりでも私たちのもとへ子どもを連れてきてくれてありがとう

と、思ったものでした。

なので、
2人目がその後すぐ来てくれるとは思っていなくて・・・
1年後、ホントにすぐやってきてしまいました。

■妊娠初期
息子は私のお腹の中で、すくすく育ってくれました。
私も体重管理もそこそこできて、特に問題もない妊娠初期時代でした。

当時、出生前診断は羊水検査とトリプルマーカーという検査で、新出生前診断はありませんでした。

通っていた病院のドクターは命の尊厳を大切にする先生で、出生前診断を勧めない方針だったので、出生前診断について言われることはありませんでした。言えばしてくれたと思うのですが、院の方針や、娘がまだ生まれたばかりだったことで、なんだか言う方向ではなかった、というのが妊娠初期時代の様子です。

今思えば、これが運命の分かれ道?だったのかも。


もしかしてここで、出生前診断をしていたらどうなっただろう?と、思うこともありますが、今では、我が家に息子が来てくれてよかったと思っているので、検査しなくて良かった、と、心から思っています。

■妊娠中期
息子はよくお腹を蹴る子で、お腹が張って痛かったです。娘の時は、ひたすらじっと我慢してその日(この世に出てくる日)を待っているような感じでした。

早く出せ~


と蹴っていたのかもしれません。

その他、長女と違ったエピソードは、なかなか性別が確認できなかったこと。

病院に診察にいった時など、エコーでお腹の中を見ているドクターに性別を聞くたびに、「隠れてわからないんだよね~」というのが何度もあって、わかったのは、出産予定日にかなり近くなってからでした。今考えると息子は「ダウン症」というアイテムを持って生まれてくることを、私に隠したかったんじゃないかな~なんて思っています。

この頃、娘の方が大変だったです。母乳しか飲んでくれなくて、息子のために卒乳したかったのですが、あまりにもミルクを嫌がったので、産婦人科の看護師さんと相談して、ぎりぎりまで母乳をあげることにしました。私は母乳が出るタイプではなかったので、これが結構つらかったです。

今思えば、母乳を卒業したくなかった娘は、息子に

お母さんは渡さない


みたいな感じだったのかなぁ・・・?

■出産直前
出産日も押し迫ったある日、前期破水という症状?スーパーで買い物していたら、下から水が・・・。

慌てて病院に行きましたが、その時は、まだ大丈夫だと思うから、あまり動き回らないように・・・とのことで帰宅しました。
しかし、0歳の長女の世話もありますし、動き回らないは無理!

ある朝、私は、夢を見ていました。お腹の子が自分で胞衣?みたいなのをピッと割る夢でした。
起きたら、パンツが濡れていて、病院に駆け込み、入院決定となってしまいました。

2週間ほど入院しましたが、もうもちそうにないから産もう、ということになり、妊娠促進剤で出産という運びになりました。

入院中、破水したくせにわりと元気だった私は、妊娠促進剤投与の後、再放送をやっていた「ひとつ屋根の下」を「わ~やった~見ようっと」と、ウキウキしていました。

しかし、その矢先、陣痛が~(>_<)

えええ~?今?せっかくテレビ見ようと思っていたのに~妊娠促進剤効くの早すぎる~

と考えていた呑気な母への息子のいやがらせじゃないかと思ったりしてました。

促進剤~陣痛~出産の運びは早かったと思います。昼過ぎくらいに促進剤投与だったのですが、それからしばらく休んでて~といわれ、テレビを見ようとした16時少し前に陣痛。そして出産は17時くらいでした。「ひとつ屋根の下」を見てゆっくりしているハズだった時間に、陣痛で私は吐きまくり、旦那は病院に呼ばれ、私の背中をさすらないといけないハメに・・・。

旦那は、

出産には立ち会わんからな・・・


と言うタイプ。私もべつに、

いいよ~


てな感じだったのですが、運の悪い奴なのか、長女の時も、なぜか旦那が休みの日で、しかも出産時そばにいさせられて、出産場面を見る羽目になり、

今回は、病院から召喚命令~。陣痛で苦しんでいる間、なぜか私は吐き気を催すタイプで、ゲーゲー吐いたもんで、呼ばれたのかも。看護師さんから、「背中さすってあげて!」

と、命令されていました。

■出産
さあ出産という時は、産科、小児科のドクター、看護師さん、たくさんの人が、足元にいっぱいでめっちゃ恥ずかしかったです。旦那は娘と一緒に別室にいてくれたみたい。

陣痛~出産までの時間は1時間ほどで、吐きまくったけど、時間的にはそんなに長い時間じゃなかったです。

出産じたいもころっと出た、といった感じで出産できました。

しかし、出産した後の、ドクターの行動が・・・。

娘の時は、カンガルーケアとかしてもらえたのですが、息子はささっと連れていかれてしまいました。34週で出ちゃったので、しかたないけど、なんかさみしかったのを覚えています。

その後、息子は保育器直行、私は出血も多かったので、大人しく寝てろと病室へ直行。

しばらくして、病室へドクターがやってきました。そこでダウン症だと思うと伝えられました。

「顔をみたらダウン症の特徴の顔をしているから検査した方がいいと思う」


と、先生は言っていました。

ダウン症の顔ってどういう顔よ!


と、怒りたくなったけど、言われた事が衝撃的すぎて、「検査お願いします」としか言えませんでした。

■染色体検査の結果が出ない
検査結果がなかなか出なくて、結局私の退院の日までは出ませんでした。つ~か、息子の退院日にも出てなかった。1ヶ月くらいかかりました。(私は1週間ほど、息子は2週間入院でした。)

その間、不安で、不安で、ダウン症の特徴とは?と、入院中も、退院後もずっと調べていました。その頃は、スマホもなかったし、インターネット内の情報も今ほどたくさんなかったです。でも本の情報の方がすごく古くて、ネットの情報の方が新しく感じました。

その時、調べたダウン症の特徴は・・・

  • 目が吊り上がってる。
  • 目と目の間隔があいている。
  • 手相がますかけ線。(猿線というそうです)
  • 身体がやわらかい。
  • 耳、頭、口が小さい。
  • 手の小指が短い。
などでした。

先生はダウン症の顔ってどこを見て思ったんだろう?


とも考え、モンモンと過ごしました。

■ダウン症だと知ったのは封書での検査結果
検査結果は封書で届きました。
sensyokutai1


検査結果
【染色体異常が認められました。】
検査コメント
【トリソミー21を認めました。】

と、書かれてあり、中には染色体の写真も入っていました。
Down's syndrome2


赤ちゃんのベテランの先生の言う通り、息子は「ダウン症」でした。

■障がい児出産は離婚危機?
先生からダウン症だと思うと伝えられた時、旦那にどう伝えたら?とか、伝えて「離婚」とか言われたらどうしよう」とかぐるぐる頭の中を回りました。でも伝えないわけにはいかないので、素直に言われた事をそのまま伝えました。

離婚と言われるのが怖くて、その後に、


離婚する?


と言ってしまったのですが、

なんで?ダウン症だったのは仕方ないさ。


とあっさり言ってくれました。
「ダウン症」を一番に受け入れてくれたのは、産んだ「私」ではなく「旦那」でした。このことが私はすごくうれしくて、ここから私たち家族が始まった・・・と、今でも思っています。

■障がい児育児の始まり

今考えると、「なんで離婚なんだ~?」と情けなく思っていますが、この時は思考がおかしくなっていた気がします。

生まれた子が障がいを持っていようといまいと受け入れようって思うのは、私にとって結構難しかったです。でも、障がい児育児が始まるとなってしまうと、受け入れざるを得ないので、最初は見切り発車って感じでした。

この先々、たくさんの受け入れがたい事も起こるのですが、だんだんとそれを「面白い」と、思えるようにもなってきました。

↓保育器生活から脱出できた日に看護師さんに撮ってもらいました。(この頃、写真はそう頻繁に撮るものではなかった・・・スマホもなかった(^^;))
Down's syndrome

ちょっと人とは違う育児だけど、いいじゃないって思いながら、家族で楽しもうとここに書いています。


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このブログに来てくださってありがとうございます。
私の中にあるものを書きだす場所として公開しています。


今現在、私の中にあるもの・・・
ダウン症児への導き方や、繊細な子への接し方や、旦那の教育かな(;^ω^)
まるでメリーポピンズのような日々。

Mary_Poppins

そんな日々はすぐに過ぎ去ってしまって、すっかり忘れてしまうのがあまりにももったいないので、文字として残しておきたくて、この場所を作っています。


もしかして、皆様の興味がある記事がありましたら、幸いです(*^^*)


*…*…*…*…* このブログに主に登場する人物の紹介 *…*…*…*…*


こんにちは「私」です。このブログの執筆者です。不思議、天然系、娘と、現実系、小悪魔、ダウン症児息子のお母さんをやっています。ダウン症児のお母さんなんて望んでやれるものでもないので、苦労も含め、めったにできない子育てを堪能中です。ついでに?コドモみたいな旦那も育成中(*^-^*)


「旦那」です。亭主関白驀進中。釣りとバンド活動が趣味です。好きな音楽はハードロック。釣りは、チヌを主に狙っています。たまにガシラ、サヨリを釣りに行きます。食べ物の好き嫌いが多すぎる、と言われますが、美味しければ食べます。世の中の食べ物、不味いのが多いから食べないだけ・・・(-_-)酒は毎晩。デイリーは酎ハイ。週末白ワイン。たまにビール、日本酒。ほぼアル中、本人自覚しています。ゲームも好きです。


世の中の料理レシピほぼ完全否定。好きな食べ物「刺身」。食材をこねくり回していろいろ味付けるのが嫌いなんだな~と、食事を作るようになって気づきました・・・が、いろんな味も楽しんでもらえるように、徐々に教育中~(^-^;


娘です。好きなこと、踊ること、歌うこと、音楽的な事が好きです。ジャンルは、ヒップホップやロック系の音楽はうるさくて苦手。クラッシックやPOPな曲、ボカロが大好きです。絵も描くのも好き。勉強は苦手。大量の文字は好きじゃない。知らない人とのおしゃべりも苦手。新しい場所も苦手です。


新しい学校や新学期が母も恐怖です。慣れるまでブルーで帰ってくるもんね。繊細な子がその独特のセンスを発揮するのには時間がかかる・・・。不思議ちゃんとバレるとうまくいくんだけどね~。


息子です。重度ダウン症児です。判定の度にA。だけど、やる気満々、生きる気満載。学校の後の放課後デイサービスが大好きです。特別支援学校に通っています。
性格は、我が道を行くマイペース。人の事あまり気になりません。ダウン症の特性頑固な部分がここにあり?ついでに、親の言うことまったく聞く気もありませ~ん。俺は俺のやりたいようにやる!
好きなこと、歌ったり、踊ったり。お姉ちゃんはライバルです。憧れは、お父さん。お父さんのバンド活動を見ているからか、お父さんのように人前で歌いたいです。
好きな音楽はもちろんお父さんが好きなハードロック。お父さんと一緒に歌うのはサイコー(^O^)/だけど、僕の話す言葉は日本語でも、地球の言葉でもないみたいで、なかなかみんなにわかってもらえません。今、あいうえおから勉強中です。嫌いな事、お絵かきや工作。
創作は俺に無用(´-ω-`)。


喃語に近い、宇宙語の息子。絵カードとか2、3語の言葉でなんとかコミュニケーションとれてます。あとはジェスチャー。大げさな表現って大事なんだな~と息子と接して勉強しました。でもやっぱりいろんな人と生きて行くのには、言葉があると便利なので、頑張ってもらいますよ~


*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

自分の思い通りにしかできないこの面々が、家族としてひとまとまりに生活している日々を、 大事に記録していけたら・・・と、思っています。


似顔絵は3割増しかわいくNIGAOE MAKERで作りました。



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